これは革新的。
ジュリアは学校の寮を抜け出してベルリンの壁崩壊の時にピアノを弾き,新聞に載って父親と絶縁。確率過程論の研究をしていたポールと結婚して,ポールは定職を得るため銀行に就職し,ジュリアが初めてのツアーに行く前の晩に和解していた両親とパーテーをして,いつもはリスク回避のポールの運転なのに,ジュリアが運転して,事故で右手はだめになったが,2人の子供に恵まれ,...というのが本筋で,ほんの少しの偶然で変わるというポールの話が事故の瞬間頭を駆け巡っていろいろ妄想するのか,と思っていたら,どれもあり得るという設定なんだな。
「4つの人生」という解説も見たが,実は無数のバリエーション。
ポールに出会わず,彼が選んだ服を着なかったら,コンクールで入選しなかったが,印象に残り,付き人。
事故で右手の障害。子供も流産。不妊治療も失敗。ポールと早くに離婚し,高校教師になる。情熱を教育者として発揮する。
事故は起こらない時。売れっ子ピアニストになり,子供は産めない。20年後,55才になるポールはもう子供を作らないと,成人になるのを見る前に死んでしまう,と言い,衝突。ジュリアの知り合いとの浮気を知られるのが少し時期が変わるが,次のパターンと類似の理由で離婚。
離婚の別パターン。2人の子供を産むが,ピアニストとしては,産休の遅れは取り戻せない。コンクールの審査員だった人の事務所で仕事を紹介してもらおうとするが,付き人にもなれない。そんなどん底の気分で帰ると,ポールは仕事でおそく,結局離婚。アルコール過剰摂取で倒れて,親権をなくす。
ピアニストとして講演していたりしていなかったり,いろいろな身で,ガンの転移を隠して会おうとする母の元に駆けつける。担当医と仲良くなるように仕向けられる。親しくなる。その店で高校の片想いしていた同級生を見つけるが名前を思い出せない。
ギターを弾いていた。その相手(名前はナタン)がピアニストになっているジュリアを働いている店で見つけて,話しかけてくる。
母の葬儀の時,いろいろな理由はあるだろうが子供はいたりいなかったり,親権はこちらにあったりポールにあったり。
横にいる男性がポールだったり,担当医(トゥロヌール先生)だったり,誰もいなかったり。
結婚相手そのものが,ベルリンの壁の前で出会ったマルクスだったら。母の死で帰ってきたときに,話す。今もベルリンにいる,夫がピアノ工房をしている。工房をたたむ父に,来て欲しいと話す。
別のあり得たジュリアは子供の親権を取り戻そうと,レストランで働く。ポールの浮気相手が客で来て,ジュリアは自制できずにサラダをかけ,サービスコーナー奥のグラスを割ろうとして自分が怪我をしてしまう。救急車が呼ばれ乗っている途中で息子から電話がかかってくる。14才の娘が急病なのにポールは連絡が取れない。無理を言って救急車ごと駆けつける。マルクスとベルリンに帰るはずだったその日のことである。
事故に遭ってポールと離婚して教師をしていたジュリアは,男性ガブリエル(母の病気が縁で知り合ったトゥロヌール先生?連れ子あり)と深い関係になり,同居しようと言われるが断る。
結局,彼の元に行くことにする。それはその同じ日の出来事になるはずだった。
やがて(義理の?)娘が結婚し,孫を出産するのを見る身になる。さらに年を重ね,ジュリアは老人になり,成長した孫に連れられてコンサートを見に来る。なんとドッキリコンサートで教え子たちが一堂に会して,舞台で演奏し,歌い,客席も教え子たちでいっぱい。彼女が教えた曲を歌う。
一応これで終わりにするが,途中大小様々な可能性がありうる(実際小刻みに挿入される)から,ウエイトレスやピアニストやピアノ工房をしていたら別の可能性だってあったはず。(この職業分類が4つなんですね。)
人生は偶然の連続。選択なのか,翻弄されているだけなのか。未来はわからない。生徒たちは,人生は自分で作るもの,と受け取ってくれた,としめる。
原題の「人生のつむじ風」は,時間を巻き戻すことはできないが少しの偶然で結果が分岐する歴史的確率過程は,人生にもあるという内容を表すので,省略してほしくなかったな。「ジュリア」だと他の有名な映画と間違える。