このレビューはネタバレを含みます
2024年5月27日(月)にテアトル梅田で鑑賞。20時10分からの回でシネマ4。そこそこ観客は入っていて、とは言え、113名の定員(車椅子席2席含む)で30名前後だと思う(映画を見終わって帰るときにざっと見た感じ)。なんでここまで劇場の情報を詳しく書くかと言えば、それは最後に。まずは映画の感想。
話題作ではあったけど、個人的にはいまいち。アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所の初代所長ルドルフ・ヘスを中心にその家族、ナチス親衛隊やその家族、あるいはユダヤ人の家政婦を撮ったもの。何を撮り何を撮らないかということ、何を映し何を映さないかということもまた作品の一部であり、スクリーンに映し出された映像の背景や外側、あるいはスクリーンに映し出されないけれどもスピーカーから流れてくる声や音も作品を形づくる重要な要素のひとつとなっている。どんな作品もそうと言えばそうだけど、この作品は特に、撮られなかったもの、映し出されなかったもの、あるいは背景や背後にあるものが意味をもつ作品であるように思った。以下は気になったこと。
まず、ヘスの執務室に入ってくる娼婦らしき女性は、ユダヤ人の女性なのだろうか。私は人の顔を区別するのが苦手なのでよくわからなかったのだけど、ヘスの家族が暮らす家で家政婦をしている女性のうちのひとりだったのだろうか。家政婦の中にもユダヤ人がいたよね。史実がどんなだったのか気になるところ。
また、夜にネガフィルムのような映像で登場する少女について作品の中では意味がよくわからなかったのだけど、これは映画を観たあとにインターネットで調べてみたところ、実在する人物をモデルにしたもののようで、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所の収容者のためにと食べ物を周辺に置いていた少女(?)であり、その少女がネガフィルムのような色調で光って見えるのは良心の輝きということのようだった。
ヘスの義母が置手紙をして娘たちの暮らす家を去ったのは、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所の目と鼻の先にあり、塀の向こう側が悲惨な状況であるということ、またそのことを否応なく知らされる銃声や叫び声に耐えられなかったといことなのだろうか。また、よく朝にヘスの妻が家政婦を「嫌味で母の分の食事も用意していたのか」といったようなニュアンスで叱りつけるけど、家政婦はヘスの母が去ったことやその事情について知っていたということなのだろうか。
ヘスの娘が夢遊病者のように廊下にいたりする場面が何度か出てくるけど、あれはなんだったのだろうか。ヘスの娘に絵本を読み聞かせるタイミングで、先ほどの少女が出てくるんだったろうか。それはまた別だったろうか。ヘスの娘の内面てこと?もし前者だとしたら、なぜこの二つの描写が時間的に関連づけられて描写されているのか気になるところ。後者なら、事実でヘスの娘のどんなニイ面を表現しているのかなと。
ヘスと子どもたちが川で遊んでいたときにヘスが川の中から何かを見つけてすぐさま子どもたちを水から上がらせて帰宅し、体をごじごし洗わせていた場面は何だったのだろうか。ユダヤ人の骨?その後、時間的に近接していたが離れていたが覚えがないのだけど、家のすぐ脇の植物に肥料がわりであるかのように灰らしきものを撒いていたのは、殺されて焼かれたユダヤ人たちの灰を示唆する描写よね、少なくとも。ちなみに、川の場面のあとで、ヘスが白樺だったかな(?)、それを乱暴に切ったりしてはならないと放送か無線で伝える場面があるのだけど、あれは何かの隠語なのだろうか。川で発見したもののことを指しているのか、それと何らかの仕方で白樺の木が関係しているのか、よくわからなかった。
いちおうこれは史実のアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所とヘスやその家族らというのではなく、現在のこととして描いているということだったよね。ほかにも気になったことがあったと思うけど、映画を観てから何日か経ってしまったので忘れてしまった。いま思い出せる限りで気になったことはこれぐらい。
ここからは作品に直接かかわることではなく、私がこの作品を鑑賞した劇場でのことについて。私が干渉したのは定員113名のシネマ4で、2列目のB-6。最前列に1人だけ観客(A-7)がいたのだけど、その観客が上映中にちょくちょく携帯電話を取り出しては液晶を発光させて時間を確認しているのかメッセージを確認しているのか知らないけど光が目に入ってくる。その観客なのか、あるいは後ろの座席(C-4とC-5)にいた観客なのかは特定ができなけど、少なくとも周りにいたのはそれぐらいで、靴を脱いで漂ってきていると考えられる鼻の曲がるようなにおいに苦しめられた。映画館に来れば、あるいは公共的な場ではよくあることではあるけど、とても残念な気持ちになった。