第二次世界大戦の最中、ナチス親衛隊によって、たくさんのユダヤ人がアウシュビッツ強制収容所に送り込まれ、そこで大量殺戮が行われていた。収容所の所長であるルドルフ・ヘスは、妻ヘートヴィヒや子供らと、収容所の敷地内で壁一枚を隔てて暮らしていた。収容所での凄惨な現実とは対照的に、ヘスの一家は優雅な暮らしを営んでいた。ある日突然、ヘスに転属命令が下る。
今年のアカデミー賞で国際長編映画賞と音響賞を受賞した作品。監督はジョナサン・グレイザー。
この作品では、淡々とドキュメンタリーのようにヘス一家の生活が描かれるだけで、特段何か大きな事件が起きたりするわけではない。エモーショナルな場面もない。アウシュビッツ強制収容所の敷地内で優雅に暮らす一家というプロットを知った上で映画を見ると、映画の冒頭からヘス一家の暮らしぶりと、壁の向こう側の様子のギャップに、違和感や恐ろしさを感じるが、もしこのプロットを知らずに見ると、どの時点でそれに気づくのかなという点が気になった。この作品では、収容所にいるユダヤ人の様子が直接的に描かれてはいないが、音でそれを描写していて、ヘス一家の生活の一部として、その音が描かれている。その音響効果が素晴らしく、オープニングタイトルやエンドロールの音楽(というか人間の叫びのような音)と合わせて、身を削がれるような恐怖感を抱かせる。また、途中サーモグラフィの映像で、実在したポーランドのレジスタンスをモデルにした少女が、収容所の作業場に食べ物を置いていく場面があったり、現在のアウシュビッツの博物館にある大量のユダヤ人の靴が映し出されたり、直接的な殺戮場面はないけど、ナチスの愚かな行為を別な視点で描いており、印象に残る。
ヘス一家の暮らしぶりは優雅で贅沢なものであり、使用人も複数いる。家の外の壁の向こうからは、常に何かの機械音が聞こえたり、ユダヤ人の叫び、怒号が聞こえ、焼却炉からの煙が見えているのに、全くそれには無関心。ヘートヴィヒが使用人に傍若無人に振る舞う様子や、ユダヤ人から搾取した衣類を使用人へ分け与え、自分はその中から高価な毛皮を身にまとい楽しむ様子、使用人がユダヤ人の遺灰を庭の肥料にする場面、転属が決まったルドルフに対し、今の生活を手放したくないと怒るヘートヴィヒ、ユダヤ人の遺体から抜き取ったであろう、歯を集めて遊ぶ子供。ただその様子を平坦に見せることで、リアルさを強調しているように感じたし、その人間性と無関心さにただただ驚き、恐怖を感じた。悪意のない罪、無関心であることの罪は、現代に暮らす私たち(もちろん自分も)にも通じるものがあり、人間の持つ愚かさを目の当たりにし、見ていて本当に恐ろしくなった。
ラストでルドルフのある行為が映し出されるのだけど、その場面を見て、私はインドネシアでのクーデター後の大量虐殺を題材にしたドキュメンタリー映画「アクト・オブ・キリング」を思い出した。虐殺を指揮し、実行した人物とルドルフには共通点があると思った。ただ命令されたから、それが正しいと思っていたからと、その行為そのものに何の疑問を持たずにいる愚かな姿。彼らの無意識の良心としての反応が、それぞれのラストの行動に繋がっているのだと感じた。
映画としては少しユニークな描き方ではあるけれど、ホロコーストの恐ろしさを描くという点で、また、人間の愚かさを描くという点で、とても成功していると思った。実際に起きた出来事としての重みもあるし、おぞましく、恐ろしく、決して忘れられない。
鑑賞の際は音響の良い劇場や環境をおすすめします。耳を傾けるといろんなものが見えてきます。