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ドラキュラ/デメテル号最期の航海のmasatのレビュー・感想・評価

2.8
“ノスフェラトゥ”の最新版より、
よっぽど実直で、好感が持てる。

ブラム・ストーカーによる(まさに)世紀の名作を端折る訳ではなく、あの長大な小説の数十ページだけにフォーカスし、勝負を挑むとは、見上げた野心である。
ルーマニア、トランシルヴァニア、カルパチア山脈、即ち得体の知れない、何がいるかわからないヨーロッパの奥地から、海を渡って“何か”がイギリスへとやって来ようとしている。闇のような黒い存在が、刻一刻と海を渡り近づいて来ようとしている。その“海”の上での物語だ。前半のトランシルヴァニアでの始まりと後半のイギリスでの死闘の間を繋ぐ、海の上で、船の中で一体何が起こったのか?を(小説の中では船長の航海日誌のみ)、こと細かに描いて見せようとした。

海の上ではあなたの悲鳴は誰にも聞こえない・・・“海の上では”を“宇宙では”に置き換えると、ノストロモ号という“船”の中での密室劇となる。

闇の存在が“ペスト”の比喩表現として使われず、そのものズバリ“脅威”がイギリスへと上陸する事になっていた。

スタジオによるスタジオの為のセット撮影、その人工具合や、お決まりなCGの塗し方など、リアリティのない、メジャー映画ならではの嘘っぱちな冒険譚なLOOKは、根本的にシラケるし、闇の造型も、ムルナウ=フーパーを、よりハリボテを上塗りしただけで、恐怖感がない。

それでもなぜか愛着が湧くのは、ジェーン・ドゥからスケアリー・ストーリーズと、そのホラーへの愛情が本作でも、大金積んだスタジオとの活動の中から、湧き上がっているからである。

ただ、あの“生贄”として木箱に、まるで航海中の“餌”として放り込まれた、後にヒロインと判明する女がとても勿体なかった。
毎晩、犯されるかのように木箱の土の中で血を貪られていた女の、倒錯性、猟奇性が湧き上がり、奮い勃てば、ラストの別離はかなり効いたはず。

また、本作の最大の問題は、この物語は、あの黒人医師は、あの後、どの物語とクロスしていくのか?と言う点。
原作では、いよいよドラキュラが闊歩する夜のロンドンの話、後半戦が幕を開けるのだが、この映画がその本流のどこへ結びついていくのか?が謎として大きく残った。
原作ではまさに、デメテル号は全滅し、大量のネズミという名のペスト(そして闇)を運んできた存在でしかなく、医師など出てこないのである。

謎。それでも野心は買う。
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