【ジェームズ・キャメロンは空間の使い方が凄い】
※本レビューはnote創作大賞2025提出記事の素描です。
【上映時間3時間以上】超長尺映画100本を代わりに観る《第0章:まえがき》▼
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『ショーシャンクの空に』と同様、あまりに有名すぎて過小評価されているように思える本作だが、再観してみるとジェームズ・キャメロンが緻密に作り込んだ空間に脱帽させられる。タイタニック号は当然ながら社会の縮図を表している。一等船室の領域はまるでプルーストの世界のようにスノッブ、デカダンスな空気感が流れているのだが、この空間で人間を描く時、「船」を意識させないような構成、つまり豪邸の中庭や城の内部を思わせるようなものとなっているのだ。レオナルド・ディカプリオ扮する貧しい画家が迷い込む、背伸びして空間に溶け込もうとする様を通じて階層の断絶が浮かび上がってくる。そんな断絶が解消されるのは、皮肉にも船が沈む際。確かに一等船室の上位層はいち早く船で脱出できてはいるものの、多くの乗客は死にいたる。貧富の格差などなくなり等しく死が与えられるのだが、完全な死が与えられるまでにラグがあり、その中で生を渇望し足掻くってところにある。本物の世界がそこにあると感じる。現実はそう簡単に終末を迎えない様が生々しく描かれているのである。
ジャックとローズとの関係に目を向ける。船の倉庫に格納されている車に着目すると興味深い。ローズを助けたことで貴族の会食に招待されたジャック。彼は、したり顔で「キャビアは嫌いだ」と語り無理している感じがヒシヒシと伝わる。ごっこであるのは明白だ。そんな彼は、倉庫で動かない車を前に貴族ごっこをする。貧しき者が届かないであろう世界に想いを馳せながら、その時は情熱的な貴族を演じる。一方、ローズは貴族であるが強制的に婚約させられており、自由のなさに生き辛さを感じる。現実逃避として、ジャックのごっこ遊びに乗る。そして車の中で肉体関係を結ぶことで、偽が真となる。恋が愛になる瞬間だけでなく、束の間の虚構が現実となる快楽を味わう情熱滾る場面となるのである。