コロニアに関わる映像作品の中でかなり恐怖と戦慄を覚えた 観た3作品の中で随一かも
冒頭と終盤の説明がなかったら、奨学生と唆され快諾したパブロと同じように、その施設のおかしさに気づけるわけがない
わたしたちはあくまで鑑賞者で、コロニア・ディグニダが元ナチス・ドイツの残党により建てられたカルト施設ということも、パウル・シェーファーがピノチェト政権のさなか勃興させ、ある種完全犯罪のようなかたちを成していたことも、この立場だからそれを知った上で観ることができる
彼ら少年たちにはそんな事も露知らず、1日1日を浪費するしかない この構図ですら安全圏で観ている気持ち悪さ、苦しさが募った
軍や議員への印象は良く、一部の人からそのおかしさについて突かれるもさらりと交わし、確かにそこに存在し続けてしまった施設 パブロの視点は共感を煽るけれど、パウルの視点になった際の自然さに背筋が凍る その2人の視点の間にある種の平等さを感じて怖くなった
本来荘厳で格式ばった印象を与えるバロック音楽や賛美歌も、使い方を少し変えるだけでその印象は最悪な形で耳にその残響を残す この曲がふとした時トリガーになってしばらく苛まれることになりそう
気付ける人が気付いて、気付かない人はそのままなのだ
直接的な描写がない分、何が起こったのかの想像がいくらでも出来てしまう嫌な余白の作り方 やはり人の恐怖は想像の外にある
'オオカミの家'はアーティスティックなぶんまだ観られる 窮屈さではこちらの方が劣るけれど
Suite No. 11 in D minor, HWV 437: Sarabande