このレビューはネタバレを含みます
特徴がないことが成瀬映画の特徴とか言われたりするけれど、男と女が肩を並べて歩くトラベリングショットがとても好きだ。
『乱れる』では、三度ある。
ゆで卵早食い競争をバーでしていたスーパーマーケット清水屋の社長たちとの喧嘩の末、警察に連行された加山雄三を迎えに行った義理の姉の高峰秀子。その直後のシーンで描かれる。加山雄三の母である三益愛子には、警察沙汰になっていることを隠して家を出た高峰秀子。彼女は、私たちは別々に帰宅した方がいいと話しつつ、二人はともに並んで歩く。途中離れたり、向かい合ったりしていることも、それからやや変奏されたテーマ曲が静かに流れていることも、憎い演出。
二度目は、話をしたいことがあるとメモを渡し、少し高い山にある寺で待っていた高峰秀子と、頂上にある寺まで、いくつもの階段を上る加山雄三、二人のカットバックで緊張感を高めつつ、二人が会い、歩き始めたところで、高峰秀子が胸の内を明かす。ちなみに、ここのシーンは、加山雄三の入りから、高峰秀子の出るまで、さまざまなショットが展開され、釘付けになる。
そして後半。
高峰秀子が戦死した夫に代わり18年にも渡って切り盛りしてきた店を去り、東北の故郷へ向かう。上野駅までの電車内、加山雄三が同じ車両に入ってきては、送っていくよと、みかんを渡される高峰秀子。ただ、車内は満員。吊り革をもつ加山雄三に、少し離れたところから彼を見る高峰秀子。直後で加山雄三は座れたものの、高峰秀子の席とは離れたところだった。電車は進み、加山雄三が近づくにつれ、彼はみかんが欲しいと高峰秀子に言ったり、彼女の後ろに移動したあとには、雑誌の交換をしたりしつつ、上野駅に到着。
東北へ行く夜行列車に乗り換えた二人は向かい合わせになる。眠くないと話していた加山雄三だったが、途中の駅で立ち食いそばを食べたりしているうちに眠りについてしまう。眠れない高峰秀子は、彼の寝顔を見つめていると、涙が止まらなくなり、その様子に気づいた加山雄三が、いよいよ隣に座る。
生活をしていた場所から遠く離れていくにつれて、車内での二人の距離が縮まっていくのを執拗なほど丁寧に映画は捉えており、その距離だけでなく、いわゆる世間体とやらに縛られていた高峰秀子の心が解かれていき、二人の気持ちの距離をも近づいていく様が見事に描かれている。
そして、途中下車した二人。「私だって女よ。好きだって言われたとき、正直に言うわ。とっても嬉しかったわ」と高峰秀子は歩きながら加山雄三に打ち明ける。
二人がともに歩くことで後には引き返せない事態を結果として招く。それを決定打のように見せず、ただ男と女がいたから歩いているにすぎないように、何気に撮っている。
なんてこれほど美しいのか。
光と影、明暗の活かされた奥行きある構図、犠牲になったと言われてしまう高峰秀子は、いつもその構図で奥にいること、スーパーマーケットのスーパーセールの宣伝放送、オープニングのタイトルロールからはじまり、変奏されつつも、二人の場面で流れることになるテーマ曲、泥酔の加山雄三、「姉さんご飯はいらないよ」、電話する二人の反復。これも繰り返されるが、加山雄三から胸の内を明かされたときや、寺にて、決意したことを予告する高峰秀子のシングルショットが、ラストの彼女を映したショットに呼応しているよう。ところで、ここの前のシーンである、加山雄三だとわかり、高峰秀子が駆け寄ろうとするに至るまでの描写が言葉なしで語れるのも見事。
小売業からスーパーの時代へじゃないけれど、映画からテレビの時代へと、娯楽の変遷を迎えていたとはいえ、これぞ職人の映画だと言わんばかりのビシッと決まった傑作の一本。