不漁に喘ぐ漁師が悩んだ末に遂に法を犯してまで漁場の外で籠を降ろす。
ニ回だけ、と言い訳をして引き上げた籠には果たして大量の魚が入っており、乗員たちは喜んでボリュームを上げた音楽を掛けながら魚の仕分けに入ろうとするが、そこに小さな人間の足がニ本見えている。
船長らしき男もモニターでそれを観て駆け付け、船員達は 女の子だ…と通報をするのかどうかで揉める。
いや~、スリラーってこういう雰囲気が良いよね…ってなる一本。
胸がざわざわとして、当事者には絶対になりたくはないのだけれど、今まさに岐路に立たされている場面を観るとそれと同時に謎の高揚も感じてしまう。追い詰められると上がる心拍数がそうさせるのかしら…。
主人公は、どうせ死んでる、もう一回網を降ろすぞと漁の続行を主張する。
このまま通報すると、漁場以外で操業していたのがバレて法律違反となり廃業。
女の子を漁場で見付けた事にすれば?との提案は、今ここにある大量の魚を捨てなければいけず、船は調査され結局廃業となるだろう。
船長は死体を持ち帰る と主張し、魚を捨てるように指示するが主人公は魚を海に放り投げ始めた仲間達に参加せず、突然子供の死体を掴み上げて海へ放り投げる。
一瞬の沈黙の後、黙って魚の腹を割いてワタを出す作業に移る主人公を見て、仲間たちも同様の作業に移る。
作業を終え、手を洗った後に泣き崩れる主人公。
夜が明け、大量の魚を積んだ船の上で全員浮かない顔をしている。
そして陸の上で種類別に仕分けられた魚が市場へと流れていく。
わか…わ……分からないでもない、と言って良いのかどうか、ギリギリのところだな と思う。
これからの人生と生活を賭けた場面で、見ず知らずの死体にそれを譲る事が出来るだろうか。
この船に乗っている僅か数人が黙っていれば良い事で、事故か犯罪か、見付けられなかった死体をまた海に流す。
正直なところ、出来るか と言われたら出来る とは思う。自分の生活は大切だと思うし。
ただ自分の倫理観がそれを許すか と言われたら、許される事ではないだろうとも思う。
自分の人生は大切であるからこそ、余計に許されるものではない。
もしわたしがこの主人公の立場だったとして、数日中はまだ良いかも知れない、どこか夢の中だったような気持ちで麻痺してるかも。でもそれが一週間、一ヶ月、半年、忘れられるだろうか。わたしは無理だと思う。
一生自分の人生の何処かに影が差す。街で同じ年頃の子供を見掛けたり、海に出て何かが漂っているのを見る度思い出すだろう。
それでも生活を選んだのなら、それらを受け入れていくしかない。
出来るか と言われたら出来る、でもやらないんじゃないかなぁ…。
もうあの籠に死体が引っ掛かって水揚げした時点で詰んでいる。どっちに転んだって嫌な気持ちを抱えなくちゃいけない。貰い事故みたいな。
倫理観に沿って通報すれば、漁業は廃業で失業者だし、別の仕事が見つかる保証もないし…。
なんであの時あの籠に…って、それもきっとずっと引き摺るんだろうなぁ。
まぁ諦めて始めた別の仕事で大成功するかも知れない可能性があるだけだ。
こういう時に限っては、まともな倫理観なんてない奴の強みが出るよな。そういう人間になりたくはないけど。
この死体の親が超大金持ちで、感謝されて資金提供されてまだ漁に出られるようになるとか、廃業して陸に上がって始めた不動産で大成功して サンキューあの時の死体!って…なるよ、って未来からきたわたしが教えてくれる訳でもないからな…。
あ~ぁ…って気持ちにさせるのは良いスリラーだと思う。