Naoto

パラダイスの夕暮れのNaotoのレビュー・感想・評価

パラダイスの夕暮れ(1986年製作の映画)
4.0
ゴミ収集人とスーパーのレジ打ち係の恋の物語。

ゴミ収集人ニカンデルはほとんど空白の人生を生きている。
決められた時間ゴミをゴミ収集車に放り込んで、それが終われば適当に一杯呑んでまた次の日を迎える。
休日も特にやることがなく、ダラダラと退屈な時間を過ごしたらまた平日に戻る。
同僚と共に退屈な人生を変えようと試みるも、夢は霞のように実態のないもので掴むことなどできるものではない。

そんなニカンデルは偶然出会ったレジ打ち係のイロナに恋をする。

そのイロナもまた退屈な人生を悶々と過ごしている。
一年に3度もクビになり、一方的に理不尽を突きつけてくる労働という物にうんざりして、自分を否定しない何者かを求めているような状態のまま、寄る辺ない心に孤独を募らせる。

そんな社会から隔絶されてしまった2人が一緒にいるのはごく自然なことだ。
ニカンデルにしてみればイロナは人生を彩る花であり、イロナにしてみればニカンデルはありえないほど退屈でも、とりあえず受け入れてはくれる心の港のような存在。

その後普通に関係が悪化するが、
趣味趣向や仕事観、表面的なものの見方を通り越して、無意識領域で探し求めているものがドンピシャで合致している2人はまたふらりと元通りに。

人は心には絶対に嘘はつけない。
無意識に求めてしまうものはその人の本質の維持にとって絶対になくてはならないものだと言える。(悪い結果をもたらすものでない限り)
そして本質の維持は人間にとって唯一の善であり、善を行うことは幸福と呼べる。

ままならない社会に対して悪態をつくのではなく、出来うる限り心に嘘がない状態(本質的な状態)を保ち続けるのが労働者階級の人間にでき得る唯一の幸福への道だ。

古今和歌集にこんな歌がある。

"世の中に絶えて桜のなかりせば春の心は
のどけからまし"

桜がもうそろそろ咲くかなぁ、とか、
あぁもう桜が散ってしまう、などと美しい物に心乱されてしまう時間こそ幸福だ、と逆説的に歌っているわけだが、2人の恋はそのようなものだ。

船の行く先にはスモールポテトしか食べれないその日暮らしが待っているかもしれない。
もしかすると野垂れ死ぬかもしれない。
それでも、心に満開の桜が咲くかもしれない。

さまざまな可能性に迷いためらいながらも、本質を絶えず欲求し続ける。
めくるめく幸福な恋である。

世の中に絶えてポテトのなかりせば人の心はのどけからまし。
Naoto

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