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夜のロケーションのnetfilmsのレビュー・感想・評価

夜のロケーション(2022年製作の映画)
4.3
 今年のイタリア映画祭のメイン・イベントがこれ。ゴールデン・ウィークの最終日に開催された今作の上映は13時ちょうどに始まり、まず前半2時間45分を観劇した後、30分の休憩が入り、その後残りの2時間45分を観るという心底とち狂ったイベントで、何と上映分数は驚異の5時間30分。それでも今作をどうしても観たかったのは監督が大好きなイタリアの巨匠マルコ・ベロッキオの新作だから(最新作は現在開催中のカンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品中で、現地情報では何か賞を取るのではと言われている)。今作も昨年のカンヌ国際映画祭で上映され、観客総立ちのスタンディング・オベーションが鳴り止まなかったという。もともとはイタリア国営放送RA1において6話完結の1時間のドラマとして放送されたものを6話全てをドッキングし、2時間45分の前後編の映画に仕上げた。然しながらアヴァンタイトルやエンドロールはあえて編集せず、6話全てで流れると言うざっくりとした仕上がりだが、6話全てのエンドロール前の曲が違うなどドラマとしてもえらく凝った作りで、その重厚な構図とベロッキオの刻印が見える並外れた人間ドラマは、とてもこれがドラマだったものとは思えない。マルコ・ベロッキオは2003年に傑作『夜よ、こんにちは』を撮っており、今作『夜のロケーション』で扱う事件も正に1978年に赤い旅団が起こしたアルド・モーロ元首相の誘拐殺人事件であり、赤い旅団側からしか描けなかった物語を俯瞰で見て、イタリア史に残る陰惨な事件を丁寧に掘り下げる。

 アルド・モーロは戦後一貫して与党だった中道右派政党のキリスト教民主党の政治家で、イタリアで戦後最も長く首相を務め、6年以上イタリアを率いていた。人気と人望を集める一方で彼は堂々と穏健路線に転じたイタリア共産党と協力し、新政権の樹立を目指していた。日本赤軍や連合赤軍、それにパレスチナ人民解放戦線。オリヴィエ・アサヤスの傑作『カルロス』の悪名高いOPEC本部襲撃事件など、世界各国で危険なテロが同時多発的に起きた70年代のあの不穏な空気の中、正に新政権樹立のその日に前代未聞のテロは起こる。1978年3月16日、ローマの自宅から車で下院に向かう途中、市内中心部のマリオ・ファーニ通りで2台の車で乗り付けた極左テロリスト集団「赤い旅団」に彼は誘拐された。この時、5人のボディガードはすべて射殺。マルコ・トゥリオ・ジョルダーナの『フォンターナ広場 イタリアの陰謀』で描かれた1969年に起こったフォンターナ広場爆破事件と共に「鉛の時代」を代表する事件としてイタリア史では語り継がれている。この凶悪な事件はすぐさま国家規模の事件となり、内務大臣コッシーガ、首相アンドレオッティ、法王パウロ4世の知るところとなる(トイレでの嘔吐が凄い!!)。映画は1話、5話の途中から最終話を編集で繋げば時系列も完璧な映画が出来たはずだが、2話、3話、4話ではそれぞれにコッシーガ、アンドレオッティ、パウロ4世が水面下で試みた人質解放交渉の裏側のシリアスなやりとりに肉薄することで、映画そのものがぐっと厚みを増した。

 もしもあの時、アルド・モーロが誘拐されていなければ現在の世界線がどのようなものだったのかは想像しにくい。新政権が樹立されていればイタリアは共産主義に取り込まれ、ベルリンの壁崩壊やペレストロイカ及びEU設立にも多大な影響を及ぼしたかもしれないし、あくまでイタリア国内の出来事だと静観し、ドイツではベルリンの壁崩壊は粛々と進んだかもしれない。然しながらアルド・モーロ誘拐事件のスキャンダラスな裏側では、共産主義が西側諸国に接近することを嫌った冷戦構造下のアメリカ諜報機関の存在があったともまことしやかに囁かれている。正に世界秩序と覇権争いが当時ローマで行われていたのだ。今作のベロッキオの描写もその辺りの仄暗い細部を隠そうとしない。つまりあの時、地球上の様々な政治的な力が僅か55日の間にイタリアの命運を左右からグリグリと攻め挙げた結果、1人の人間の命と引き換えに世界の平和は保たれたという強引な見立ても出来る。巨匠マルコ・ベロッキオの描き方も史実に忠実に描くと言うよりもむしろ、フィクションの中に歴史の要人たちを置くことで、あえて映画的な広大な宇宙に我々を突き放す。歴史というのは過去に起きた出来事の集積であるものの、そこには幾つもの仮説や妄想が余白として議論され、見えない史実を炙り出す。もはやそのベロッキオの応答こそが20世紀のミステリーへのテーゼであり、ある種今のプーチンのウクライナ侵攻への無意識な応答たらしめる。休憩30分でも流石に疲れたが、ミステリーの深淵に迫る驚愕の5時間30分に思わず身震いがした。真に驚異的な映画体験を強いる並外れた傑作。
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