このレビューはネタバレを含みます
【なんだ、その7つの陰茎は!?】
第6回映画批評月間にてカイエ・デュ・シネマベストに選出された『ある王子』を観た。本作はアラン・ギロディ作品に近い、ゲイ映画の側面から映画哲学を見出すタイプの介品であり今後のピエール・クレトン作品を観ないと全体像が掴めない厄介さを孕んでいる。
庭師になるために訓練見習いセンターへ入るピエール゠ジョゼフを中心に物語られるのだが、映画は複数の視点から散漫とした語りによって全体の輪郭が形成される。つまり、個の物語として観るのではなく、群を通じて映画に脈打つ哲学を捉える必要がある。
映画はナレーションを主軸とする。その中で、紙に文書を書く、インドでの体験が文化人類学映像的なフィルムの質感で捉えられたりする。文章や映像が遅効性のメディアであることを強調するようにナレーションが用いられているのである。その中で3人の男がセックスに明け暮れたり、突発的な死が訪れる。ドライに事象を並べる。まるで植物の生態を観察するように人間の行為を捉えるのがコンセプトのようだ。
事象の羅列に徹する本作だが、1か所だけ映画的虚構に迷い込む場面がある。それは男の陰茎が7つに分裂して誘惑する場面である。あからさまに露悪的なスペクタクルに衝撃を受けるわけだが、あれだけ真面目に理論を積み上げてきて突然露悪に走るのはナンセンスであり、それをゲイ映画の文脈でやるのは正直ドン引きである。それまで、興味深く難解な理論に付き合ったのがバカバカしくなるほどに酷い映画であった。