グルーチョ

絞殺魔のグルーチョのネタバレレビュー・内容・結末

絞殺魔(1968年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

連続殺人事件のミステリーかと思いきや序盤はいろいろな変態ばっかり出てきて楽しい。女の子にいたずら電話をする男の口がアップになるのが気持ち悪いんだけどたしか「夕陽のギャングたち」でも口のアップをつなぐシーンがあった


やたらとジャックダニエルをあおってパンティをもみながら犯人を当てようとする超能力者や限りなく犯人に近い精神病をもつ紛らわしい男が出てきて捜査は進んでいるようでまったく進んでいないあたりが面白い。


それもそのはずで犯人はそんなわかりやすい性倒錯者ではなく一般のごく普通の男が犯人だということがわかる。この男は二重人格である。

ここからこの映画のすごいところで、後半はその男が自分のなかにある別人格が犯した罪、隠された真相をどうにか語らせようとする話になっていく。

そして彼は別人格があらわれなければ真面目な人間であって、それを見ている我々は彼のことを不憫に思えてくる。

思えば人間は忌まわしい過去を無意識に隠蔽、改竄するものだと思う。だからこれは殺人の記憶を持った二重人格の男の話ではあるが根本的には我々自身にも当てはまる話だ。この映画はその暗闇の深遠を覗きこもうとする男の話でもある。

死体はオブジェのように無機質なものとして描かれ、殺人の瞬間も描かれない。派手なサスペンスもあるわけではない。それはやはり人間の心理を描きたかった、という理由が大きかったのではないかと思う。

ただそれだと退屈になる可能性があるので中盤まではスプリットスクリーンを使ったのだと思う。これはちょっとくどいけど効果をあげていると思う。

二重人格の暗喩で鏡が随所に出てくる。

そして最後のトニーカーティスの名演。最後に彼はもう一人の自分と出会うことになる。
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