又野克明

絞殺魔の又野克明のネタバレレビュー・内容・結末

絞殺魔(1968年製作の映画)
4.4

このレビューはネタバレを含みます

今回は”なんとなく”ネタバレ設定に。自分のレビューは大抵、作品の具体的な内容に踏み入り、そこから自分の思想を展開するので、ネタバレは致しかたない。上っ面だけの表層批評に留まりたくはない。

この作品で思うことをいくつか書き出してみたい。とにかく、恐ろしい映画だった。戦慄を覚えたは言いすぎかもしれないが、恐怖のどん底に叩き落された感は否めない。

それはそうとして、この映画の問題点は精神的な病によって、人を殺めてしまった主人公に、牢獄に入る責任はあるのか、という問題かもしれない。私であるならば、病気と言えど、人を殺めてしまっているのだから、牢獄ぐらいは言われたら入るより仕方がないのかもしれない。

実際、この主人公は牢獄に入れられていると言うハナシではないか。どんな理由であれ、人を殺めてしまうと、とにかくややこしい。この場合に牢獄に入ることがなぜ苦しいかと言うと、自分に罪があるかどうかさえ自分で理解できない状態であること、そして刑事側にもそれは正直分かりかねない。それなのに、どう反省すればいいのか、次にまた同じことが起きたらどうなるのか?そう言う不安が、苦しみとなって主人公に重くのしかかるからではないかと思う。

人が死んでいる。そして、それは精神病に拠るものだ、とあるならば、真っ先に主人公は精神病院に送られるべきだろうと思われる。病を治す機会を与えることが、ほんとうの処置の仕方ではないか。牢獄と言うのはあまりにもだ。罪かどうかわからないのに、牢獄に入るなど、最も屈辱的なことである。と言うことで、病を治してから、すべてがはじまると言うのが、僕のこの映画の主人公への結論だ。
又野克明

又野克明