絞殺魔の作品情報・感想・評価

「絞殺魔」に投稿された感想・評価

死者の視点から撮られたカメラの置き所が非常に不気味。別のところで書いたばかりなので以下省略。あの霊媒師とオセローはなんなんだ、盛大に笑ってしまった
とんでもない大傑作
久方ぶりに驚くべき映画体験をした
間違いなくオールタイムベスト
ドストライクすぎた...
もう一度落ち着いて見直したい

90-00年代にかけての黒沢清...最高...

このレビューはネタバレを含みます

今回は”なんとなく”ネタバレ設定に。自分のレビューは大抵、作品の具体的な内容に踏み入り、そこから自分の思想を展開するので、ネタバレは致しかたない。上っ面だけの表層批評に留まりたくはない。

この作品で思うことをいくつか書き出してみたい。とにかく、恐ろしい映画だった。戦慄を覚えたは言いすぎかもしれないが、恐怖のどん底に叩き落された感は否めない。

それはそうとして、この映画の問題点は精神的な病によって、人を殺めてしまった主人公に、牢獄に入る責任はあるのか、という問題かもしれない。私であるならば、病気と言えど、人を殺めてしまっているのだから、牢獄ぐらいは言われたら入るより仕方がないのかもしれない。

実際、この主人公は牢獄に入れられていると言うハナシではないか。どんな理由であれ、人を殺めてしまうと、とにかくややこしい。この場合に牢獄に入ることがなぜ苦しいかと言うと、自分に罪があるかどうかさえ自分で理解できない状態であること、そして刑事側にもそれは正直分かりかねない。それなのに、どう反省すればいいのか、次にまた同じことが起きたらどうなるのか?そう言う不安が、苦しみとなって主人公に重くのしかかるからではないかと思う。

人が死んでいる。そして、それは精神病に拠るものだ、とあるならば、真っ先に主人公は精神病院に送られるべきだろうと思われる。病を治す機会を与えることが、ほんとうの処置の仕方ではないか。牢獄と言うのはあまりにもだ。罪かどうかわからないのに、牢獄に入るなど、最も屈辱的なことである。と言うことで、病を治してから、すべてがはじまると言うのが、僕のこの映画の主人公への結論だ。
LEONkei

LEONkeiの感想・評価

4.0
何故、ドアを開けてしまうのか…。


ボストンで起きた連続老婆絞殺人事件、マスメディアが連日報じる警戒体制の中で彼女らは何故ドアを開けてしまう。

絞殺魔のその2面性は『サイコ』〝ノーマン・ベイツ〟級の恐ろしい怪物だ。


絞殺魔を追う刑事らの姿をドキュメンタリータッチで描き、多面的角度からのマルチ画面で緊迫感が増幅する。

単純なストーリーも背骨がしっかりした芯のある構成力、脚本・撮影も素晴らしく地味に見えても適材適所な実力派俳優陣のキャスティングが良い。


ドアを開けてしまうのは、ココロの隙か或は人は何処かで誰かを求めているのか…。

時に求める者と求められる者が合致する事は、必ずしも良い事とは限らない。

真実とは本当に恐ろしく難しい。

自分の事のはずなのに、その真実を語るのが最も難しいものなんだと..★,
久々観たけどほとんどラングの『M』……。

以下メモ

これのあれを分割画面とかスプリットスクリーンとか呼ぶのに違和感がある。黒み画面の上に色々な形の四角い映像をペタペタ配置している感じで、強いて言うなら「画面モンタージュ」とか言わないといけない。「切る」と「貼る」は根本的に発想が逆で、そのことをよく考えないといけない。撮影するときも編集するときも脚本を書くときもぜんぶ同じで、切り取る(切り分ける)のか、繋ぎ合わせる(組み立てる)のか、今自分がやろうとしているのはそのどちらなのか。観るときも、今そのどちらが行われているのか、とか。切ったものを貼るわけだし表裏一体なんだけど、表なのか裏なのか今どっち向いてるのかというのはやっぱり大事なこと。それはまあ「デクパージュ」か「モンタージュ」かの議論みたいな話でもあるわけだし、他には例えば映画業界で「フレーミング」とか「構図を取る」とか言うものをなぜアニメ業界では「レイアウト」と呼ぶのかとか、あとは「寄る」ことをテレビ業界でもドラマ以外のバラエティとか報道とかのほうにいくと「抜く」と言うのはなぜか(ということは映画でもドキュメンタリーの分野ではこの捉え方で考えるべきかもしれない)、とか。そういう言葉の違いはぜんぶ根本的に発想のところから違っているからそうなっていて、「映像」という一見同じもので表現されているからといってまったく一元的ではないということを……。これはこういう考えで作られたものだとか、これはこういうふうに作るべきだとか、そうやって捉えているものとぜんぜんそもそも真逆のものかもしれないということを……。
犯人が明らかになって以降、犯行シーンの緊迫した演出がたまりません。
クライマックスの幻覚描写もカッコいいです。
息苦しさが持続し薄い精神を緊張感が支配し続ける凄まじいサスペンス。完璧。演技が上手すぎてトニー・カーティスの怖さは異常。ずっと素晴らしい。分割画面はグラフィカルで異様にカッコいいけど観るのには忙しい。でも、とにかく異様にカッコいい! 終盤の供述の為のフラッシュバックと記憶の混濁が本当に凄い。ラスト、どうしようもない。めちゃくちゃ好き。
ボストンで実際に起こった連続婦女殺人事件を、『ミクロの決死園』や『トラ・トラ・トラ』などの話題作を手がけた監督、リチャード・フライシャーが映画化。事件の発見や警察の捜査を。説明を排したリアリスティックな出来事を連ねて見せる前半と、犯人のモヤモヤとした内面に入り、彼の目線による犯行の様子と逮捕劇、そしておぼろな意識を通した取り調べの後半という、前半と後半とではガラリとタッチを変えた構成。

ぶっちゃけ前半の警察が片っ端から絞殺魔を見つけるまでの逮捕劇はコメディっぽくてクスッとした。とくに映画館の場面でミニ懐中電灯を持って、さぁ覗いちゃうぞ♪とかがもうとしたら、後ろから警察やってきて覗くこともできずアウト笑
そんな前半であったが、後半はやっぱ一味違う。絞殺魔アルバート・デザルヴォ演じるトニー・カーティスの怪演ぶりはラストなんか特にゾクッとした。
この映画はスプリット・スクリーンの多様で有名だそうだが、たしかに前半なんかは画面分割がすさまじかったなぁ。でかめのテレビで観れたからいいものの、小さめのモニターとかだったらちっちゃすぎてよう分からんくなってしまうやろなぁとも思いました😅
究極の画面分割法。
強烈なショットの連なりにもう頭クラクラ。

観客には既に提示されている情報をわざわざ張本人に思い出させる場面を最大の山場に持ってくるという攻めた構成。
それが見事に成功しているのだから凄い。
物語の停滞がサスペンスから恐怖映画への転換に作用しているという恐ろしさよ。

そして錯綜し始める回想。
婆さんにグググっとカメラが寄っていくとこなんかもう恐怖そのものに画面が吸い寄せられるようで死ぬ程怖かった。

幕切れも圧巻。直前に熱量MAXな胃もたれ一歩前の長回しを見せた後にあれだけ突き放した着地点を選べるんだから凄いわ。
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