✔️🔸『違国日記』(3.9)🔸『夜明けのすべて』(3.9)▶️▶️
異種の世界とそれぞれに生きる人間は、交わらず同化せずも繋がって、それぞれに欠けたものを補完しあってるを軽やかにに無理なく描いた二本立て。
遅れたので序盤は観てない『違国~』は、まずその編集の、無理を感じさせない自然体の中の信じがたい才に驚いてく。浅めや(異サイズ)切返しフッとした縦の構図、角度変も造型や組立のガッチリした立体力を避け、リリカルな音楽でスローやジャンプカット、又は周囲無人闇の中に1人に・らのイメージシーンも織り込まれる、という一際映画の厳密なスタイルに嵌まるを照れたように流したベースに、更に一層浅い角度変、それに類似も驚くべき角度・視点の切替わりを、タイミング的にも溜めのない早めカット変が時折はいってくるのだ。それは天才的と言っていい感覚で、それがドラマ的にも観念的にも、一つに導かれない、柔軟でウェイトや流れ、価値観のもっともらしさへの行き着きを無視した、対立してる筈のドラマトゥルギーをうっちゃって、また深いところで補完し合う2つ・両極の筈でもあるこだわりがそれを無化しまた活かす、手応えを現存させてく。毎週行き戻りしつつ進む漫画原作のせいもするが、乗り越えは個人個人のもので、決め見せる明快なものではない、しかし、必要には違いない事と関係性がいつしか描かれてく。
幼い頃は入院がちだったという、妹に記憶ある姉は、退院後のいきなり大人っぽく、現実的であれ、妄想や自分勝手に染まるな、と威圧的・脅迫的でしかない姿で、妹は本能的に反発し「死ぬ気、殺す覚悟で」普通からはみ出た夢や目標に向かってきた。身体も心もはみ出し突出する余裕はなかった姉は、家族や社会の決め事に沿い、流れに竿差さず、柔和に対人・対社会関係性を最優先に世界を作ってきたが、健康で独立心旺盛な妹は正反対に見かけは不健康不適応偏屈に、小説家の道を築いて来たのだ。この事が明らかにされるのはかなり終盤で、また普通のドラマ様に葛藤がメイン推進力になるわけでもない。
「勢い」で引き取った、中三から高1になろうとしてる、交通事故で急死の姉(とその夫)の娘は、母の見えた陽の部分に、自らの健康はそれを素直に応え、世界は誰とでも理解し分かち合える、楽観と実感を体現してきて、母の死が知らされ卒業式の学校の皆が特別に普通を演じてる事を知ると異常に怒るが、それ以外は、例え親友が同性愛志向を話しても動揺は少なくあらゆる人に、卑下なく、嫌みなく、同レベルですり寄れる。孤独に取り置かれることはあっても、直ぐ次の近しさを取り寄せる。その辺のこの新進女優さんは、演出に完全に応えきり、かつ遥か上のドラマ越え止まらぬスポンタニティを感じさせ、観る側はもう完全に取り込まれる。主演のガッキーとその役柄も薄まる位に。
しかし、少女がやりたい学内のバンドのボーカルに、推薦されても目立ちがいやで尻込むを叔母は、「やりたいことをやり抜く。合わせず突出しても」と送り出し、前半の「今しかない時や人を逃してはダメ」「大人と子どもの差もだが、一人一人別の人間、人格。繋がらない所は埋められない」らと併せ、感動を与えてくれ、少女の欠けと可能性を埋め・創る。ドラマのバランスとか、納得論理を無視してる、としてもこれでいいのだ、の作品世界。素晴らしい、と思う。瀬田の世界といえばそれまでだが
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それに比べるとスクリーンでは初見の『夜明け~』は、一点一画正攻法で揺るぎや歪みがなく、しかしまるで威圧と無縁の、しおらしさ、慎ましさ、正確さであり、2つの世界、また別の2人の生き方、の相互働きかけが完全に響きあってきてたを、後でしっかり感じる。観てる間は何かしらも、確かな感動でしかないが。
初終の男女主人公のナレーション分けあい、暖かい音楽の包み、回想や離れた場も無理なく入り、自転車絡み走りや歩きのフォローと重ねの快適あっても直線的で癖はなく、どんでんや切返し・寄りや角度変も過不足なくまた厳密にも拘らず誠実と正確を、危ない映画的癖ある人間間発展を抜き去り無視して定速で積んでく、これらが堅苦しさより、確かさを与えてくれるのは、陽光の広さや色合いの時間と季節への完全通底の晴れやかさと自然の為か。
その白さの変化の具合、ニュアンスへの確信は、都市の夜景を度々挟んでの、終盤部での、移動プラネタリウムの人々の佇まい、その感じる威容の、短いがインパクトとの対比で相殺の深さを感じるに至る。解説するヒロインは見つけた最初期の古い先達のノートから引用する。「一見何もなく、見えなくもなる夜があるから、夜空に限りない宇宙の広さの存在を発見、知ることが出来、そこに浸り続けたくもある。そしてそれらがあるからこそ、輝かしい確かさに満ちた朝は必ずやって来る事ができる」
その関係は健常者らの前向きで焦りすぎさえする社会と、立ち止まり落ち着いて足元を見る、病んだに見える者らを引き受け、地道というよりは危なくもある会社組織の、響き合い、何かの見直しに対応する。こころを病んだ者の間でも、一般的社会への引け目から、その標準をはみ出さないことだけを考え、しかしそれでも母の介護の為に実家に近い一般的な職場へ危険を抱えた復帰を考えてく者と、互いへの気配りだけで前に進もうとは考えない今の職場に不満で元のへ復帰ばかりを考えて、いつしかそれを思い直してく者、の対照的なあり方がある。前者の後者への自分の事のごとき心配、宅へしゃしゃり出、そして後者の前者の病いの専門書を読み込みから、かなり強引に直してやる気概の行動は、可笑しい程の(脇道への)発展具合で、演出と演技、役柄も、解放されてく柔らかさと活力を生み出し、圧巻あれよあれよと引き込まれる見もの。「どんな人間でも、互いに嫌う程合わなくとも、助け合う事はできる」元への社会復帰を強く第一義としなくなった彼らを哀れんでる元同僚も、プラネタリウムでの2人の合作仕事の成果に涙する。
そして、プライベートでも恋人が海外転勤で離れ、彼ら自身復帰と残り、で別れ別れになっても、「バラバラになったわけでは、出会い(の成果)に感謝」してくのである。
苛立つタイプの月経前症候群PMSに事務職大企業入社もすぐに辞めて、5年、その種の人間も引き受けの、子供用活力与え具製作販売会社に勤めてたヒロインは、パニック障害発症2年と後で分かる、自己中の後輩青年を臨席に迎える。自分もコントロール出来ない苦しさと、互いの生き方の違いが余計目についてた二人は、衝突と生来の素直さで、恋人といった同じ道には決してならない、互いを助け合うに手応えと自分へのこれまでとちがう見直しの観点を得てく、当初の一方的目線高さから相手の優しさや内なる実情・その大変さに気付き。