【窃視を我らに】
気になっていたがやっと見られ、見てよかった。臭いものに蓋をせぬよう、苦労して形にしたよね。フェアかどうかは疑問だが、局所的には見応えあり。
1975年に、ローラ・マルヴィが著書でメイルゲイズを唱えてから随分過ぎたが、映画としてここまで切り込みまとめたのは、珍しいのでは?やっぱりMeToo以降だから実現できた気もする。
ローラ本は昔々、読もうとしたが読みづらく、積ん読のまま幾星霜…。そして本作では、ローラさん本人が登場し、発表当時から大して変わってない…と苦笑する。積ん読ゴメンナサイ。でも、このローラコメントは象徴的で、本作冒頭の投げかけともなっている。
映画を見るとは、暗闇の四角い穴から他人を覗き見ることだ。覗き穴の向こうは虚構だからと正当化されていても、いかがわしい行為に変わりはない。…そこがいいんじゃない!と思うワケだが。www
その穴から女性の裸が見えるからと、男どもを呼び寄せ大勢で覗き見るだけでなく、無意識に女性まで呼び込んで来たのが商業映画史…というのが、ざっくりした現状分析でしょう。
しかしニナ・メンケスは、覗き見を止めろとまでは言わない。覗き見の構造を解析し、実は覗き見だったんだよと気づきを与え、そこに映画史上から、多数の事例を重ね合わせてみせる。…実は男用だったと。
映画を見たければ、窃視の快楽からは逃れられない。ならば、覗き穴を多様化することは対処療法となりましょう。“フィメールゲイズ”も始まっており、性の多様化に応じられる作り手がどんどん、必要になってくる。これはクリエイティブなことだし、映画にはまだ希望が残っている、と信じられることだ。
ハリウッド草創期、儲かるとわかるとビジネス“マン”が乗り込み、女性の作り手が排除された…との話には、構造的な問題がどうしようもなく潜んでいたが。これは『スタントウーマン』でも触れていたね。
バランスが整うには相応の時間がかかるだろうが、いち観客の自分にできるのは、映画に新たな価値を、常に求めることだ。貪欲に、しかし楽しんで。
本作が突きつけるネガティブな気づきだって、新たな価値だからね。
そういえば、本作のOPをバーナード・ハーマン風の音楽含めて『めまい』のパロディで仕上げたのは、巧いし、ユーモアを忘れていないね…と感心したことでした。
<2024.9.10記>