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ミラーズ・クロッシングのsleepyのレビュー・感想・評価

ミラーズ・クロッシング(1990年製作の映画)
4.5
帽子は頭を求める  ****


原題:Mirrors Crossing、90年、115分。恐らく1920年~30年代の米地方都市、禁酒法下。乱暴に言うと2つの勢力の間をたゆたう男トム(G・バーン)を中心とした一種のノワールでありハードボイルド(発想元がハメットの「ガラスの鍵」「血の収獲」とのこと)。アイルランド系ギャングのレオ(フィニー)とキャスパー(ポリト)が一色触発の状態にある町で、「これは譲れんな」というトムの生き方に焦点を当てた作品。ギャングは出るがフィニーもトムもマフィアではない。

バーンはギャンブルと酒にしか興味がない。自分の心がわからない(「What’s heart?」とか言う)。空っぽの男。反面、譲れないガッツみたいなものを秘めている。しかし帽子がないと空っぽの自分に耐えられないように彼は帽子にこだわる。帽子は彼自身、あるいは心の鎧のようなもの。自分にうまくフィットする「頭」を探す帽子。本作では、これを表するようにビジュアル、セリフに帽子が頻繁に登場する。なおフィニーもラストで喪失感を埋め合わせるように帽子をぐいっと被るのである。

米映画にはファムファタルという系譜があり、紅一点ハーデン(バーンを本気でグーパンする)がそれかと思ったが違った。周囲の人にとってファムファタル的なのはバーンだ。バーンとフィニーの会話を結末まで聞くとまるで男女の会話のよう。本作はどこか「男騒ぎ」の映画といえるかも知れない。本作をバーンとフィニーの出会いと別れを描いた束の間のプラトニックなラブストーリーと観ても面白い。いや、ハーデンを含めた三角関係の映画か。結局彼らは三人で居る訳にはいかないのだ。「ミラーの十字路」は彼らの人生の決断がなされる十字路。

以下余談:
まさに徹頭徹尾バーンの映画となっているが、俳優を見る映画でもある。タトゥーロ、ポリト、ハーデン、ブシェミ・・。抜きんでてフィニーの存在感は素晴らしい。取り分け「ダニーボーイ」が流れる中、襲撃され反撃するシーンは、行為と結果がアンバランスかつあまりにも冷静で・・。そして陰鬱でシックなバリー・ゾネンフェルドの撮影(画調・動き・レンズ選択ともに素晴らしく、森の撮影に痺れる。市街ロケはニューオリンズ)、小道具、名コンビのカーター・バウエルの音楽監修どれも素晴らしい。映画の顛末が彼の図ったことなのか、行き当たりばったり・偶然の産物なのかは判然としない。恐らく後者だろう。またミステリに主眼を置いたものでもない点がコーエンらしい。コーエン兄弟の、どこかで観たことあるようで何にも似てない映画。眼を耳を離すことが難しい。

★オリジナルデータ:
Mirrors Crossing, US, 1990, 製作・配給20th Century Fox, 115min. Color、オリジナル・アスペクト比(もちろん劇場上映時比のこと)1.85:1(Spherical)、Dolby SR、ネガもポジも35mm

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