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彼方のうたのニューランドのレビュー・感想・評価

彼方のうた(2023年製作の映画)
3.7
✔️🔸『彼方のうた』(3.7)🔸『雨降って、ジエンド。』(4.3)▶️▶️

 『彼方~』。これも他の大好きな作を見る筈が、引っ越して駅まで歩く体力も失くなり、間に合わない、タイトルバック位というか、本編まだ始まってもないのに告知時刻に三十秒遅れたら駄目と言う、主体の暇観客が勝手ルール設定会場に間に合わなくなり、急遽見るを決めたもの。
 前作の、音が美しい川が見える2階テーブルや人々混ざる一階カウンターの店も使用、そこらからバイクで上田のカタヤキセソバへも、他美味しい所探しや互いに料理披露、ふと気になり話しかけたり着けたりした人は、相手が前にどこかで?と気づく(その1人アキコさんとは、食べ物や川音探り・映画作り・バイク旅で特に親しくなり、最後の旅たち~以上~を抱いて止められる)、川の音の録音か個人録音再生で川を特定してるのか、そうして知り合った相手の妹のホン読んで映画製作へもっていったり、それには自身の映画制作市民講座からの人脈生き、他に絵画講座や喫茶店バイト・様々人脈場当たり作りが、のハル。ミステリアスというより、予感や成り行き以上何も説明なく、デジタル時代の静謐スタイルと溶け合ってく(固定でもないが、カメラは説明前までしかパンはせず勘所は隠したまま、現実音だけを微細に収める、切返しや角度変・どんでんはカッチリ嵌めず少しズラす、バイク延々フォローだけは相変わらず存在してるが)。掌品めもやはり、銘品には違いない。他の自作、他者の作、創作の内と外、らとも反射しあってる。がやはり、終末感にたどり着こうともしてく。
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 これに比べると、レイトショーを次の日休みで、観に行ってウトウトはしてた高橋泉の本年公開2作の片割れ『雨降~』は、映画に拘らず寧ろ僕らの世代のTV創成期スタイルで、積極評価はなぁと思いつつも、拘りなく快適で快走は、やはりいつしかぐんと突き刺してくる、明晰さや透明絞り込みが貴重になってくる。
 『ある朝スウプは』の高名は聞いてたが、生来の怠け癖で、作家を知らず観て驚愕した『14歳』から更に数年、群青いろ、の特集上映でやっと観て予想以上の手応えを感じ、『むすんでひらいて』等の家庭用機器で撮ったとても劇場は無理みたいな本人ら公開は意図しない表面粗末作品も含め、21世紀のおもてから見えてこない真の才能だと思った。
 それからの間にプロと家庭用の機器に明確な差はなくなる発展があったが、この作もオシャレで綺麗な作品に見えてもやはり独自の美意識の方を先に立てた作だと思う。説明のない過去の家族との別離の素早いモンタージュ入れ、事務所内や屋外パフォマンス中の三人の位置と内面の対峙繋がりの直線三角形関係、2人だけの秘密と内なる言葉外の呼応の極らないが極る形、らは劇映画のセオリーカッティング構図に見せて、決まりを抜けている、脱力してく。写真やSNSの介入のメディアの存在も消えてく。内容はそれらに呼応もしてる(動揺で揺れもする時あるフォローや寄るめらもストレートにはありもしてるが)。
 表現力主体偏重の編集者、社会常識に拘る事務所責任者、相槌の上手い年上同僚、らの中、SNSらの反響に手応えを覚えてく若くもないアラサー(数年前の作なので古川は逆に二十歳を幾つも出てない頃)に近い女性カメラマンの世に出る前にある者は、金鉱を見出だす。常にピエロメイクで素顔は決して他人には見せず、がそれでの私生活オープンは構わず「他人に迷惑だけはかけぬ」信条の、フワフワ・コイン付き風船を配ってもいる男。距離は縮まらずも、他で溶け合ってく。世の反響求めも薄まり、カメラ無しでも訪ねたりする。別れた娘以外の(小学校教師時代の担任として親身接してた、とのち分かる)女生徒への調査依頼、軟体も気丈な筈の同僚の自殺未遂、の不穏も透けてきて、やがてピエロ者の、幼女変態嗜好とされる、「性嗜好障害」への自責の苦しみと世界への謝罪の表現への生き方、家族との断絶も、が明かされる。驚きはやがて、一方的加害に至ってない優しくもある正直さの本質の、抱えたものへの過大視引け目、と理解されてくる。そして女性カメラマンが、彼のその気持ちの告白の場を設け、解放してやると、その好きは、今中学生の相手には感謝大事レベルとして返ってくる。空振りに歓喜もし、自らの、彼への気付いた愛を伝え、2人明るく駆け出しを取ってく女カメラマン。伝え、それ無しの傷つけ傷つけきはない、関係性のオープンな可能性自体の、成就や世界への背理感以上の、掴まえ保持の感触。
 このマイナーさ、正直さ、気持ち気配りやり取り優しさが、以前のよりマイナーな作品から発展、引き継がれ来てる。
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