垂直落下式サミング

アキレスと亀の垂直落下式サミングのレビュー・感想・評価

アキレスと亀(2008年製作の映画)
4.1
たけし映画において、「女」は男の最後の人間性を象徴する存在だ。
『その男、狂暴につき』は、大切にしていた妹を奪われたことで抑えてきた狂気性が留め金を失って暴走する。
『HANA-BI』は、妻の命が弱々しくただ消え去っていくのを見ているしかない悲劇を描いた。
『みんな~やってるか!』は、主人公が寝ても覚めても恋い焦がれる魔性として男を狂わせる。
そして、果てしない暴力の連鎖を描く『アウトレイジ』のように徹底的に娯楽性に振り切れば、女は不要と物語から切り捨てられるのだ。
女が消えれば、男はどこまでも非情に無慈悲になっていくのが、たけし映画世界である。
本作は、残虐なバイオレンスを打ち出した映画ではないためか、北野作品のなかでは心温まる夫婦愛の物語かのようなパッケージングをされている。だが、第一作目から監督が常に描いてきた「死」のイメージが、かなり強く前に出ている作品である。
芸術家として大成することを夢見る主人公のマチスは、アートのためにあれもこれもどれも犠牲にするが、実は自分に才能がないことなんてとうに気付いているし、自分が夢見ていた芸術なんてものは無価値だということにも気が付いてしまっている。そして、娘を失い妻に愛想を尽かされたところで、この『地獄変』は留め金を失っていくことになる。
ところで、アウトサイダーアートの面白いところは、どれも同じゴミみたいにみえる文化としての脆弱さ。ブリキのオモチャをブッ叩いて壊して芸術ですってのが間違いだし、尾崎放哉だってよく考えりゃ「咳をしても一人」なんて意味わかんねえうがいして寝ろで片付いてしまう。
そのなかでも、絵画は写真の発明された時点で役目を終えたジャンルだと思う。そもそも写実主義だろうが印象派だろうがシュルレアリズムだろうが、100年も200年も前のオッサンが「Oh!私の目に写るモノはBeautifulなのデース!」とか言いながら描いたもんなんか、偉いワケないと思うんだよな。ミレーだろうがルノワールだろうがピカソだろうが、所詮は絵が上手かっただけだろう。それを言っちゃあ、おしまいだが…。
芸術は価値を値踏みし始めると廃れていくという矛盾に立ち向かう者たちへ、答えは出さないまでも暖かいエールを贈っているように思う。