国のセラピーは出来ない…
ポーランド出身のアグニエシュカ・ホランド監督が、ベラルーシとの国境地帯の凄まじい現実を通してポーランド政府の不正を描いた作品。
この手の踏み込んだ社会派作品は、ついつい監督のその後を心配してしまう。そしてそれを覚悟してまで世界に発信する意義深さを感じる。
映画監督でありながら強いジャーナリズムにも似た使命感と言うか…
実際、ポーランド政府は今作に過剰反応し、上映妨害されたと言う経緯からも、今作が実話である事を疑う余地は無いように思われる。
冒頭から、とんでもなく引き込まれた。
何?一体何が起こっているの?どう言う状況なの?タダならぬ緊迫感と容赦ない描写に心拍数も高くなる。
章立てされた構成に理解が追いつくに連れ、とんでもない現実を目の当たりにする。
簡単に言うと、中東からの難民がベラルーシ経由でEU加盟国であるポーランドを目指すお話。
とは言え、決して単純な話ではない。
ベラルーシは難民を“ルカシェンコの生きた銃弾“として送り込み(その裏にはロシアの影が)、ポーランドはまた押し返す。国境付近で行われるのは両国が難民たちに対するピンポンボールのような扱い。
これがコロナ禍の2021年の話だと言うのに凍りつく。
難民の視点、国境警備隊の視点、そして人道支援団体の視点、それぞれの視点が交錯し、葛藤、苦しみ、悲しみ、絶望が描かれ、生々しく惨たらしい現実を突きつける。
ほんの僅かな人間らしい瞬間に救われつつ、大きな力を前に、あまりの微力さに打ちひしがれる。
難民に課せられるふたつの選択肢が何れも限りなく死に近い。生まれた国によってこれ程までに生きる事が難しい現実に心が折れる。スマホと言う進化の象徴のようなツールが登場する一方で全く進化しない人間の愚かさが虚しくてやり切れなくて…
ベラルーシの悪には一切の驚きは無かったし、なんだったら想像通りだけど、ポーランド政府には驚きと落胆しかない。ウクライナ難民受け入れのあの映像が今となっては嘘っぽくすら思えてしまう。
とても印象的だったのは渡り鳥のショット。
作品のメッセージが凝縮されているかの一瞬のシーンに瞬き出来なかった。
そう、鳥は自由に国境を越えられる、そもそも国境なんて無いのだと…
人間の命は等しく尊いはずなのに、こんなに惨い現実があること、そして道を挟んだ先が別の国、考えの異なる国である事がどう言う事なのかを改めて思い知らされる作品だった。
ウクライナ戦争の最初の2週間でポーランドが受け入れたウクライナ難民は約200万人
難民危機が始まった2014年以来、ヨーロッパの海、陸、森で約3万人が国境を越えようとして死んだ
今作を書いている2023年春にも、ポーランドとベラルーシの国境で人が死んでいる
そして、
ウクライナ、ベラルーシ、中東、アフリカから避難し、この映画に携わった全ての人に捧げる
…と締めくくられる