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スカーレット・レターのbebeのネタバレレビュー・内容・結末

スカーレット・レター(1995年製作の映画)
3.3

このレビューはネタバレを含みます

結構何度もアダプテーション作品が出てる。
原作はホーソーンの『緋文字』(1850)。
ジョフィ監督版の評価が低い理由は原作からの大幅変更だそうで。確かに別作品として楽しまないと、戸惑うかも。
僕は『緋文字』とは全くの別作品として楽しみました。

あと全然関係ないけど、何故かリージョンコード1のを買っちゃった。

以下、「物語の書き換え」についてダラダラと。
ジョフィ監督版では
・語りがパールだった点
・姦通に至るまでの経緯が描かれた点
・結末の変更
・変更後の近代性
このあたりが特に気になった。

○パールの語りは、
・状況設定
・これから始まる話の主人公が母であること
・主人公に娘(自分)が生まれること
・娘は無事成長すること
をあらかじめ伝えられる。第三者視点での語りと比べても、明らかにパールの語りの方が得られる情報量が多い。映画だとやっぱりまとめないといけないので、原作とは違うけど変更も納得。

○姦通に至るまでの状況と人間関係、出来事を時系列に沿って描くことで、人物の動機づけがすごくわかりやすくなってる。初期の状況と人物関係がどのように変化し、どのように姦通に至ったのか。原作よりも日常と物語をより自然につなぐことで人物の行動の多くにに(特に姦通という非常な出来事についても)動機を持たせることに成功してる。(気がする)

と、こんなふうに、ジョフィ監督の物語更新には、一貫して「時系列」の意識がある。この配慮は映像作品の性質によるものが大きくて、映画を気軽に「読み返す」ことはできないから、一度見ただけで作品の内容を理解できるように、しやすいように、より丁寧な設定説明と話の単純化をしたんじゃないかな〜と。
だから、原作からの大胆な物語の書き換えがあったのは確かだけど、それは表現の媒体が本から映画に変わったことによる工夫だと考えればいいんじゃないかな。

○クライマックスでディムズデイルが死なない点も大きな変更。でもチリングワースや他の村人は死んでいて原作通り。つまり、ディムズデイルが例外的な扱い。村人のヘスターに対する態度や、チリングワースの行い、またディムズデイルとヘスターの間の不当な待遇差を鑑みれば、「勧善懲悪」を感じる。ディムズデイルがした特別な事といえば、自らの罪を告白したこと。この告白は原作にもあるので、結末のみ変更されてる。単純に、ホーソーンは「悪者には罰が下る」といを考えてたけど、ジョフィ監督は「改心によって許される」派の人だったんだろうな。

ホーソーンの時代にはまだ起こってなかった大戦と冷戦、多くの地域紛争の経験の結果なのかな??とか思ったり。

○近代性はこの物語自体がそういうテーマを持ってる。「因習→自由」これが基本的な物語のプロット。でも因習と自由、どちらに身を置くかは自由選択という。近代思想を「自由・寛容」、そんなイメージで捉えてたんだろうか。
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