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春の驟雨のKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

春の驟雨(1932年製作の映画)
4.0
ユニバーサルに失望してMGMに転職したフェヨシュは、『ビッグ・ハウス』のフランス語版とドイツ語版のリメイクを作るなど非常につまらなそうな仕事しかしていない。ルビッチ、レニ、ムルナウと並び称された外国人監督は、その才能を活かす機会も素材も与えられず、彼はアメリカを離れる決意をする。フランスで『Fantômas』を製作し、その後故国ハンガリーへと戻った彼は、ハンガリー語で二つの長編を撮る。それが『The Waters Decide』と本作品である。これらの作品は『Hyppolit, the Butler』の成功によってコメディ映画絶頂時代を迎えるハンガリー映画史的にも、そしてアート映画嫌いなハンガリー人的にも受け入れがたいものだったようで、本作品の"神への冒涜的な態度(そういう映画ではないのだが)"のせいで上映禁止になった。フェヨシュ自身大いに幻滅したに違いない。以降は故国も離れて欧州を放浪し、最終的に文化人類学者/考古学者として世界を駆け巡ることになる。

本作品は天国へ行った"母親"が若い娘たちの美徳を守るために雨を降らすという伝説に基づいている。春の驟雨というのは、出会いの季節である春に雨を降らせることで、女性を早めに家に帰して貞操を守ろうというものらしい。地主の息子に恋した主人公マリーは誘惑されて棄てられて、妊娠したことで村からも追い出されて都市部で不定期の仕事をしながら必死に生き延びようとする。窓の外からクリスマスを喜ぶ子供たちを眺めるシーンの「マッチ売りの少女」っぽさ。念願のウェイトレスの仕事を得た当日に職場で倒れ、クリスマスなのに酒場で飲み明かしていた客たちが子供の産まれる瞬間を固唾を呑んで待ち望む姿に、刹那の連帯感があって目頭が熱くなる。息が詰まるほど言葉の少ない洗練された空間で、寓話が厳かに語られていく。マリーが子供を取り上げられるシーンを含めて、異様にカットが静かに割られていることもあり、60分という短尺ながら飽きることがない。

それにしても、冒頭で"伝説やで"としながら、そのままの流れで現代に伝説を作っちゃうのが凄い。"母親"って比喩じゃないんだ、というね。
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