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ミシシッピー・バーニングのあんがすざろっくのレビュー・感想・評価

ミシシッピー・バーニング(1988年製作の映画)
4.8
アラン・パーカー監督を偲んで。

自分の好きな俳優や監督、小さい頃から親しんできた芸能人の方が亡くなると、その訃報ニュースを見た途端、思考がしばらく止まってしまいますよね。
今年に入ってからも、志村けんさん、作品はそれ程見ていませんが、名前を聞くとすぐに顔が思い浮かぶぐらい、印象の強かった三浦春馬さん(速報が流れた時、「何で⁉︎」しか言葉が出なかったです)、先日には渡哲也さん、マエストロ・モリコーネがついにこの世を去りました。
そして、まさかのティ・チャラ国王陛下=チャドウィック・ボーズマンまで…。

人間ですから、誰にも終わりがあることは分かっていますが、頭で理解することと、気持ちの整理は全く別物です。



7月31日、名匠アラン・パーカー監督も、闘病の末に亡くなられました。

1971年、青春映画の名作、「小さな恋のメロディ」の脚本家として映画界に登場し、1976年の「ダウンタウン物語」で監督デビューを果たしました。
以後、社会派ドラマやサスペンス、音楽をメインに扱った作品を数多く監督し、手堅い評価を得てきました。
2012年の「レ・ミゼラブル」も、最初はパーカー監督にも話があったのだとか。

今回彼のフィルモグラフィーを振り返って、まだ見ていない作品がたくさんあることに改めて気付かされました。
全部の作品を見ていない中、「大好きな監督」というのはおこがましい話ですが、見てきた作品は、どれも大好きでした。
今まで追悼のレビューをしてきたことはなかったのですが、今回はアラン・パーカー監督の作品を挙げます。

まず、アラン・パーカー監督と言うと、一番に挙がるのは「ザ・コミットメンツ」じゃないでしょうか。
僕も今までに見た作品を挙げようと思ったのですが、ここで未鑑賞の作品をレビューしていこうと考え、評価の高い「ミシシッピー・バーニング」をレビューします。

1964年、アメリカのミシシッピー州で起きた公民権運動家の失跡事件を扱った実話です。


僕はあまりこういう歴史には詳しくなくて、映画などを通して色々考えるんですが、映画で描かれた事象であったり、エピソードをそのまま受け取ることが多いので(多少観終わって調べることもありますが)、あまり深掘りすることはないんです。難しいテーマは、僕もレビューを挙げるのにお手上げ状態になってしまいますし(笑)。


しかし、今回の作品、どうも見終わった後も頭から離れない。
人種差別問題というのはどこまでも根深いので、僕の付け焼き刃な知識では太刀打ちできないテーマですが、僕なりにアメリカの歴史を調べてみました。

まずミシシッピー州の場所から僕は調べなければなりませんでした(えっ、そこから⁉️)


アメリカ合衆国の南部に位置する州で、今回の事件が起きたミシシッピー州フィラデルフィアは、トム・ハンクス主演の「フィラデルフィア」の舞台とは同名の別地であるようです(後者のフィラデルフィアは、アメリカ北部の大都市ですが、ミシシッピー州のそれは非常に小さな町とのこと)。

アメリカ南部と聞けば、様々な映画で描かれてきた黒人差別の根強いイメージがすぐに思い浮かびます。


1776年、イギリスから独立したアメリカ合衆国は、その人口のほとんどがアイルランドやイギリスから移民として渡ってきた白人達でした(これを理解した上で、「ギャング・オブ・ニューヨーク」をもう一度見返したい)。
彼らは先住民を武力で制圧し、またアフリカ大陸から強制的に連れてきた黒人を、奴隷として働かせます。

奴隷のほとんどがアメリカ南部で過酷な条件の下働かされていましたが、徐々に国内で奴隷制度の存続是非が話し合われ、1860年11月の大統領選挙でエイブラハム・リンカーンが当選、奴隷制の廃止を訴えました(これも理解した上で、「リンカーン」も見返したい)。

これに反発したのが、南部の11州です。
奴隷制度を存続させようと、アメリカ合衆国から離脱を表明、アメリカ連合国を結成します。
ここからアメリカは、北軍と南軍に分かれ、1860年、有名な南北戦争へと発展してしまいます。
結果、1865年に北軍が勝利を収め、憲法には黒人男性の参政権付与や奴隷制度廃止の修正が加えられます。

しかし、それでも人種差別は根底からは無くならず、1896年の合衆国最高裁判所で行われた裁判で、公共施設での白人と黒人の分離は、人種差別に当たらないという、とんでもない判決が下されてしまうのです。
この判決を後ろ盾にして、南部では合法的に、当然のように人種差別が続いた訳です。
映画冒頭の、水飲み場の分岐がそれを象徴していますね。

映画「グリーンブック」でも、この黒人分離法、俗に言われている「ジム・クロウ法」が取り上げられていました。
が、「ミシシッピー・バーニング」を見た後では、そんな人種差別の描写も可愛く見えてしまう程。
「グリーンブック」も好きですけどね、スパイク・リー監督が批判した理由も、何となく分かる気がしました。

それから、映画でも大きく取り上げられたKKK団の存在です。
これは僕も専門学校時代に少し勉強しました。
クー・クラックス・クラン、略称KKK団は、白人至上主義を唱える団体で、黒人へのリンチ、住居の放火などを繰り返していたのです。

いたのです、と書きましたけど、KKK団って、規模は縮小したものの、未だ存在しているようですね。
映画と同じように、白い頭巾を被って黒人達を急襲し続けてきたんです。

地元の警察って、それを見て見ぬふりをしてたんですね。
アメリカは自治体警察らしくて、その町の保安官や町長の考え方が、町の方針に色濃く反映するようです。
同じアメリカとは言え、州や町によって、独特のカラーや雰囲気があるのはその為ですね。
そんなことも知らずに、ハリウッド映画をずっと見続けてきた自分。。。😅
だから南部の町では、これ程までに人種差別が根強い。保安官とKKK団が結託していても、何の不思議もないんです。
そういった、警察などを含めた不当な行為を取り締まるのが、いよいよ登場FBIです。

作品は、そのFBIがミシシッピーに乗り込む辺りから始まります。



事件が起きた1964年の夏は、ミシシッピー州にとって「Freedom Summer(自由の夏)」と呼ばれています。

当時ミシシッピー州の黒人人口は、州全体の45%を占めていたと言いますから、人口のほぼ半分です。
そんなミシシッピー州で、投票権を持っていた黒人は、本来投票できるはずの黒人の10%にも満たなかったそうです。
白人達による妨害や工作によって、黒人達は投票権を暴力的に奪われていたのです。

黒人の投票権登録数が非常に少ないミシシッピー州に、公民権運動家(白人・黒人)が多数集まり、活動を始めたのが1964年。

多くの大学生ボランティアが黒人達のコミュニティに溶け込み、共に生活をし、黒人の投票権を増やす後押しを始めるのです。

運動が始まって早々、その内の3人が州内のフィラデルフィアで失跡します(2人はニューヨークからきた白人大学生、1人は地元の黒人の若者でした)。
背後に町ぐるみの事件性を確信したFBIは、ウォードとアンダーソンの二人の捜査官をミシシッピーに派遣。
事件を追いますが、それは想像していた以上に大きな難問を抱えていたのです。



映画で描かれてきた人種差別は、どれも見ていて気持ちのいいものではありません。
ですが、扱うテーマがテーマだけに、批判も受けるし、なかなか深くまで切り込めないものです。

本作の描かれ方は、「本当にここまで描いて大丈夫なのか?」と心配になるぐらい、核心を抉っていきます。
見る人によっては、アメリカ南部の見方が変わってしまうんじゃないかな。

自由の夏と呼ばれたその年、およそその名前に似つかわしくない事件。
それは自由を手にする為に立ち上がった、公民権運動家と黒人達の、勇気ある行動を表すものだったのでしょう。

恐ろしいのは、町の白人達のほとんどが、黒人を平然と差別していること。
そこに罪の意識はなく、黒人達に手を差し延べる白人にも、怒りを露わにします。
敵意剥き出しなんですよ。
そして、州の法律でさえも、黒人差別ありき、の時代があったこと。
憤りを通り越して、呆れてしまいます。

しかし、彼らも生まれつき差別意識を持っている訳ではありません。

映画の中で、町の有力者が集会の壇上で、人種差別を良しとする演説をぶちます。
それを聞きながら熱狂する支持者達。
そんな大人達の姿を、子供達がまた見つめている。
こうやって、脈々と差別は受け継がれていくもの
なのか。

人種差別は憎むべきもの、というのは、自分でもよく分かります。
今までもたくさんの映画で見てきました。

今回、この「ミシシッピー・バーニング」を見て、何故ミシシッピーには、これだけの差別が根付いているのか、そもそも何故こんな事件が起きたのか、公民権とはどういうものなのか、それを知りたくて仕方なくなりました。
学校で教わっただけでは、全然頭に入らなかった歴史が、自分で調べてみてようやく理解できた気がします(学校の先生、ごめんなさい🙇‍♂️)

演じる役者さんも、これは大変だっただろうと思います。
特にミシシッピーの町の住民達。どんな気持ちで、映画の撮影を続けていたんだろう…。
黒人差別も、KKK団の介入にも進んで協力していた姿は、映画であることも忘れてしまう程、怒りを覚えます。
マイケル・ルーカーは、やっぱり個性が強烈ですね。

FBIのウォード捜査官を演じたのが、ウィリアム・デフォー。若い‼︎2枚目役が決まってる‼︎
正義感に燃える熱き捜査官を演じています。

対するアンダーソン捜査官を演じたのが、ジーン・ハックマン。
ウォード捜査官をサポートする立場ですが、四角四面の正攻法でしか捜査を進められないウォードに対し、アンダーソンは地元の人に溶け込み、地道な聞き込みを続けて事件の真相を追います。

このジーン・ハックマンが最高‼︎
はみ出し感が出ているのに、町の一部の住民から共感を得ていくのは、明らかにアンダーソン。
荒っぽいやり方でありながら、これぐらいの覚悟がなければ相手と対峙できないと分かっている。

また、町の美容院を経営し、保安官補を亭主に持つペル夫人に、フランシス・マクドーマンド。
えっ、むちゃくちゃ美人じゃないですか‼︎
ビックリしました。
1988年公開の作品だから、およそ30年前。
いやぁ、素敵です。
彼女は差別意識とは無縁で、周りのどんな人とも分け隔てなく接しています。
その夫人が吐露する思い。

小さい頃から植え付けられる黒人差別。
そんな町に嫌気が差しても、町を出られないやるせなさ。
結局は町の人間と結婚し、息詰まる思いをしながら暮らしていく。
町を出ようと声はかけてもらえても、彼女は町で生涯を終える覚悟をしています。

ミシシッピー州はかつては綿花の輸出で栄えたものの、その後綿花の価格が下がり続け、州の財政も悪化。
現在では白人の貧困層が多く住んでいます。
教育水準、雇用水準共に他州と比べて劣っており、黒人のみならず、白人も生活に苦しい。
ペル夫人が町から出て行こうとしないのは、こうした環境に追い詰められ、外の世界に逃げ出したくても逃げ出せなかったのかも知れません。

アカデミー賞で撮影賞を獲得した映像が見事。
小さな町の閉鎖的な雰囲気を醸し出してます。
音楽(スコア)も素晴らしく、作品のサスペンスを盛り上げます。


普通に生活しているだけなのに、何の言われもなく、何の前触れもなく、いきなり暴力を振るわれ、家を焼かれ、生命の危機に晒される黒人達。

ミシシッピー・バーニング。燃え上がったのは、作品で度々映し出される無情な焼き討ちのことだったのか。
それとも、黒人達の無言の怒りだったのか。

アラン・パーカー監督は、こういった社会派ドラマを手堅くまとめる手腕に長けていました。
本当に、素晴らしい監督でした。
正しく渾身の一作です。

ミシシッピー州の一面だけ取り上げましたが、実は音楽の歴史においても大変重要な地で、黒人奴隷が仕事をしながら、自らの境遇などを憂いて歌っていたのが、ブルースの起源であると言われていて、当時のミュージシャンの多くはミシシッピー出身だったそうです。
そこからシカゴブルースやデルタブルースへと発展していったんですね。

また、南北戦争が終結した1865年、時のミシシッピー州知事、ジェイムズ・アルコーン氏は、後にアメリカ上院議員に選出されますが、奴隷制度撤廃に尽力し、ミシシッピー州に黒人の子供達が通う学校や大学を作った人物なのだそうです。
アルコーン氏の後を継いで州知事に就いたのは、アメリカ系アフリカ人のハイラム・ラベルズ氏。
彼もアフリカ人初の上院議員に当選した人物とのこと。

一面だけ見ただけでは分からなかった、ミシシッピー州ひいてはアメリカ社会の実情。
差別を推し進める一方で、撤廃に尽力した人物も
世に出ている。
そして、アメリカ南部の黒人奴隷が生み出したブルースやゴスペルの歴史。
勉強になりました。

少ない知識ながら、色々と調べてレビューしたのですが、それは間違ってるんじゃない?等、歴史解釈の違いもあるかも知れません。
そこはご容赦下さい。


今回のレビューは222本目。
思いがけず、キリ番に相応しい作品を挙げられました。
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