このレビューはネタバレを含みます
不撓不屈の精神は、時に親の愛をも凌駕する。
ジョイ・ウーマック。決して忘れてはならない名前が、またひとつ胸に刻まれた。
本作を『ブラック・スワン』や『セッション』と並べて語る声もある。だが、それは表面の傷跡をなぞっているだけだ。本作が描いているのは、芸術に身を捧げて壊れていく者の物語ではない。
これは、たった一度の、一瞬のチャンスに命を賭けて跳ぶ、そんな人間の物語だ。つまりこれは『ロッキー』なんだ。
舞台に上がる。何もかもを背負ったまま。過去も、痛みも、誰かの愛も。明日どうなろうと知ったことか。今この瞬間を、誰よりも生き抜く。それだけを信じて跳ぶ。その姿に、ただただ打ちのめされる。
カメラは彼女の息づかいと共に動き、震え、彼女の視界は僕の視界だ。まるで舞台の上に引きずり込まれたかのような臨場感。
タイトルロールを背負ったのはタリア・ライダー。その全身から溢れ出す渇望。もはや演じているのではない。彼女は本当にジョイ・ウーマックを生きていた。
そして、ダイアン・クルーガー。その登場に、思わず息を呑んだ。あの美しさ、あの気高さ、あの瞳の奥にある深い痛み。彼女がいてくれてよかった、と心から思った。静かに、確かに、この映画に“格”を与えていた。みんな大好きだろ、ダイアン・クルーガー。
芸術のためじゃない。名声のためでもない。
自分の人生に、自分自身が賭けて挑む時、人はこんなにも強く、こんなにも美しくなれるのか。