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エイリアン3のTEPPEIのレビュー・感想・評価

エイリアン3(1992年製作の映画)
2.4
「エイリアン コヴェナント」が全米でそこそこのスタートを切って、そこそこの落ち込みをしているが評判はわりと上々。「エイリアンVSプレデター」シリーズにあったアクション要素重視を削除したゴア描写とSFホラーの原点回帰が非常に楽しみである。そんな名作である「エイリアン」「エイリアン2」はまさに伝説シリーズの面白さではあるが、その高すぎるハードルに挑んだ孤高の若手監督がいた。不本意ながらも。ピンク色がとにかく大嫌いと豪語している完璧主義でありドS監督のデヴィッド・フィンチャーが「エイリアン3」のメガホンを取った。しかしこの3作目が本当に凄い。脚本家のクレジットだけで10人以上、マイケル・ビーンに肖像権で訴えられ、フォックスとの確執、撮影スタジオの不仲が最悪レベルという状況。極め付けはフォックスとの条件である意味監督よりこのシリーズに対しての指揮権を持つシガニー・ウィーバーとドS監督デヴィッド・フィンチャーの激突である。「おめーこそエイリアンだよ」と言われる始末である。残念ながら平均90テイクは当たり前のデヴィッド・フィンチャーはエイリアン以上である。この映画は本編よりフォックスとの確執が面白いという珍しいケースである。では肝心の映画の出来はというと、「エイリアン」シリーズの良さを完全に勘違いしている。とにかく新生エイリアンを作ろうという下らない新鮮さを求めたスタートの時点でSFホラーアクションの要素はない。一時期では西部劇にするという情報まで出て、ついにわけの分からない要素をかき集めて出来たのが本作である。フィンチャーの真の「エイリアン」はない。正直、未だにこの映画、彼がメガホンを取ったとは思えないほど画づくりも違う。これもう他の人が途中で撮ってるだろとバレバレである。別に珍しくはない。「スーパーマン リターンズ」もブライアン・シンガーが怠慢すぎてフランク・ダラボンが撮った部分あるくらいだし。結果として奇しくもジェームズ・キャメロンと同じように初作品が黒歴史であるように、デヴィッド・フィンチャーの「エイリアン3」はもはやシリーズ的には無かったことにされている。囚人とリプリーという泥臭くて暗い画や、エイリアンそのものがチープで特にキャラも立ってない。
総評として、「エイリアン3」は色んなスパイスを混ぜるも、不味くなった映画である。リドリー・スコット、ジェームズ・キャメロンといい巨匠たちが手掛けた世界観を宇宙という広大な舞台を描くにはあまりにもスケール感とミスマッチなフィンチャーの細かい演出が悪い方向になっている。それにしても丸坊主にしたリプリーが気の毒である。そして本作が無かったものにされ、本家「エイリアン2」のその後を描くとされていた「エイリアン5」はお蔵入りになったそうだ。ニール・プロムガンプ監督のビジュアルが素晴らしかったぶん、残念である。もう作れ、うん。
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