思春期の持て余す身体とその置き場のなさ──ポレポレで『あみこ』のリバイバル上映時に流れた予告が激ヤバだったので観てきた。「SE」はサウンドエフェクトなのかシステムエンジニアなのかも気になって。「SE」の正解は観てのお楽しみにするまでもなく、普通システムエンジニアなわけないよな。
思春期のオイルを差しきれていないガチャガチャとした身体をとらえたような自主映画で、予告の激ヤバ感を超える衝撃はなかったが、最近は静かな自主映画よりも五月蝿い自主映画の方を好みがちな私はとても楽しく鑑賞できた。冒頭、姉の死に対する思いなどを含むそこそこ長めの不穏な文章が流れた後、男子中学生がサニタリーボックスから使用済みの生理用品を取り出すところから始まる。男子中学生は学ランを着た女性の俳優が演じている。思い返すと、ショック的な意味でもこのシーンが本作のピークにしてサマリーな感がある。自分が中学生だった頃を思い出すと、「思春期の揺らぎ」なるものがあったとすれば、それは急速に成長する体と多くの情報を取り入れるようになった頭を持て余す感覚で、ちょっとカッコつけた言い方をしすぎている気はするけど、それだけは確かに実感としてあったのだ。だから冒頭のシーンは共感できる描写だった。生理用品に付着した経血は肉体から分離された細胞であり、成長する体の置き場のなさが具現化されたものとして受け取れるし、俳優の生物学的性別が入れ替わっているのも男女の分化が決定的になっていくことへの戸惑いを表しているように見えるから。鑑賞中、俳優の性別が逆(セーラー服を着た男性とか)なら、ゴミ箱からシコティーを取り出すでも同じ映画的機能を果たせたのかなとか考えたけど、それだと性的倒錯の色が濃すぎてダメだなと思い直した。
全体72分というタイトな上映時間だけど、それでも途中少し冗長に感じる時間があった。冒頭一発のパンチ以降は同じテーマを繰り返している気がしてしまい、終盤で持ち直すものの出落ち感が否めない。勝手に作品を持ち出して比較するのも良くないんだけど、同じジュヴナイル前衛映画という意味で本作の予告と出会ったきっかけの『あみこ』と比べると、言葉の先鋭化がもう一歩惜しいと感じた。
アニメーションパートを担当しているのは“ぽに青”という弱冠17歳のアーティストさんらしい。不気味な絵柄がとても素敵だった。余談だけど「弱冠」は語源的には二十歳にしか使えない修飾語なので、17歳の頭に付けるのは本来は誤用らしいです。