ninjiro

恋恋風塵(れんれんふうじん)のninjiroのレビュー・感想・評価

4.2
産まれてもいない時代の、行ったこともない国。何故こんなにも懐かしいのだろう。
年代からすれば私の父親が送った青春時代、その時の日本の風景はこれに近かったかも知れない。遠い記憶、父が見せてくれたアルバム、そこに流れたであろう長い時間に対し、数える程の写真しか挟まっていなかった。
寡黙に語られる少年の過ごした数年間、その月日、瞬間の切り取り方はアルバムの中の数枚の写真、一枚一枚からじわりと染み出す仄かな記憶。生活の苦しい家族の為にと学業専念を諦め都会へ出た少年に贈った高価なはずの時計、共に煙草を喫み酒を酌み交わす歳となり、兵役に出ることとなった少年へ贈ったライター、其処に封じ込められた父の想いは恐らく複層的であり、単純なものではない。受け取り酌み取る少年の想いもまた然り、だが根底に流れる温かみはお互い何方にも共通するものだ。丁寧に作られた松葉杖、放り投げられる爆竹、幾通もの手紙、静かなる日常に、あらゆるものを以って目まぐるしく想いは交換される。しかしそれが忽ち向かう相手の心を動かすものではなく、ただ当たり前にここにある心をそこへ示すだけのもの。その時に持ち得た筈の曖昧な感情は塵芥のように風に攫われ、ただそこで起こった筈の事象とその結果である今日にこそ想いを馳せる。
私たちの知る初恋に似ている。好きという気持ちの理解が追い付かない感情、表す言葉を知らず、寡黙に心を何かに代えて示すことしかできない。内心にはじわじわと、やがて烈火の如く燃え盛る激しい想いも、燃え尽きて灰となっては風に攫われ、郷愁の中に取り込まれる。
写真の中に笑う少女、その笑顔の理由を知る者はなく、ただ彼女の背負う風景と共に柔らかく懐かしくただその時を思い出す。写真は色を喪って、徐々に粗い点描のようになって行く。写真そのものが風化していくのか、私たちの眼がそう見せるのか、しかしカメラを通さない風景だけはこの先も鮮明さを喪わない。
遠い山、長い帰り道の夕日、見上げた不格好な架線、故郷の風景、少年が心を締め付けられるような懐かしさを覚えるのは、まだ先の話だろう。
ninjiro

ninjiro