Ricola

勝手にしやがれのRicolaのレビュー・感想・評価

勝手にしやがれ(1960年製作の映画)
3.8
およそ4年ぶりに再鑑賞したので、レビューも書き直し。

この作品は、「面白い」「面白くない」で片付けるべき作品ではないとつくづく思う。
そう、これは実験映画だと言い切っても良さそうである。


それまでの映画文法を覆すような演出ばかりであるというのは、言うまでもない。
主人公のミシェルが運転するシーンでのジャンプカットはもちろん、カメラに目線をやって観客に話しかけるのも斬新だったのだろう。
いい天気だと彼が言うと、むき出しの太陽にカメラは直接レンズを向ける。

二人で並んで通りを歩くのも、木漏れびが当たったり陰ったりするし、人はカメラの前を通るし、彼らの間にも人は通る。ロケーション撮影でエキストラを使用しないからこその、臨場感であろう。

作中何度もミシェルがする、唇を指でなぞる仕草。ボギーに憧れるミシェルは、彼の格好や表情、その仕草まで模倣しているのだ。
映画館のボギー特集のポスターを見て、ボギー…とつぶやく。ボギーの写真をじっくり見て、また唇を指でなぞる。
カッコつけるときにその癖が出るようである。
彼は新聞に載ること、警察から追われることまでも楽しんでいるようだ。
映画で観た、ボギーみたいだと。

「悲しみと無のどちらを選ぶ?」とパトリシアに聞かれたミシェルは「無」を選んだ。そういう生き様に憧れるのも、ミシェルらしい。

メルヴィル巨匠の出演も、ゴダールのちょい役も印象的である。
この映画がヌーヴェルヴァーグの代表作の一つとして、現在も映画史を飾るのにぴったりである。

ドラッグストアや街の明かりの掲示に、物語の「予告」が書かれる斬新さ。
あくまでも街から「浮かない」演出に、ゴダールの挑戦的な思いを感じる。

この作品に散りばめられていたあらゆる要素や伏線を、回収するような形にしたラストショットも素晴らしく、スタイリッシュに締められている。

常識を破ることで、リアルや人間らしさを見出し、まさに「新たな映画」を生み出した映画人ジャン=リュック・ゴダールの凄まじさを、4年越しにやっと少しはわかった気がする。
Ricola

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