【美しき異物混入が、馴染むまで】
特集上映『オタール・イオセリアーニ映画祭』にて。
目と耳の滋養になったが、心は概ね退屈だった。本作をつくるには物語るより、当時のジョージア、あの地域でしか得られぬものを記録する欲が勝ったのでは?と思いました。
都会人が田舎に行く話ですが、その対比のみならず、ジョージアの異民族が交わるグラデーションも描かれている。私はその階調に反応できず、損しているだろうな、とは思う。
田舎暮らしスケッチを残すことは貴重だと思うが、映画としては、それで?とも思う。
それでも、楽団員がRECする民謡採集シーンは興味深いし、ジョージア風宴会・スプラの重みも改めて、響きました。
弦楽四重奏団が、強化合宿?で農村にやってくるが、なぜこんな騒がしい場所に来たのか、わからなくなってゆくのは、面白い。
始めは、演奏はじめると一気に、村の空気が切り裂かれるように美化され、目が覚めるし、案の定、子どもたちも面白がって全員集合するわけですが…その先、村は音楽の背景にはならず、音のぶつかり合いになるんですよね。村とはいえ、意外とメカの騒音まじりだし。
で、ケミストリーが起こるのではなく、何となく混在し馴染んでゆく。…オタ映画らしく。
シンプルな魅力では、楽団の世話をする村娘が、コケット!後で知ったが、監督の娘なのね。『ゴッドファーザーⅢ』におけるソフィアの位置づけではないの。アップに寄らない拘りは今回、彼女に見事効いている!(褒め言葉) 若い肢体がまんま、輝いておりますね。
都会に憧れるが、田舎の異物ではない。しなやかに楽団と地元を行き来して、心地よい。
また、ああ、やっぱりここはコルホーズか…という束縛描写もある一方、家畜を始め、動物たちが多数登場し好き勝手に動く様が、集団農場というものを一時、忘れさせてくれます。
原題で使われた“PASTORALE”には元々、都会から見た田園、という意味が込められているようですね。そこから掘っても私には、映画がより面白く感じられるとは思えませんが。
<2023.3.28記>