YasujiOshiba

副王家の一族のYasujiOshibaのレビュー・感想・評価

副王家の一族(2007年製作の映画)
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DVD。シチリア祭りの続き。ほんとうはこの作品にも触れたかったのだけど、あのときは時間切れ。

原作の『I Viceré』(1894)に出版されたフェデリコ・デ・ロベルト小説。ベネデット・クローチェによると、この小説よく研究されているけれど「心躍らない」みたいな評価。大御所のこの見解に、イタリアではあまり日の目をみなかったらしい。

それでもネナルド・シャーシャは、ヴィスコンティが『山猫』を映画化したときに、グラムシ的なリソルジメント観から作品を撮りたいなら、ランペドゥーサのものよりも、むしろデ・ロベルトのほうが適切だったのではないかと批判。そのまえに、シャーシャはどうも、ヴィスコンティがあまりお好きじゃないみたいというはあるけれどね。

そのシャーシャはデ・ロベルトの原作を高く評価していて、クローチェは間違ってと書いた。シャーシャの先輩のヴィタリーノ・ブランカーティがデ・ロベルトを評価しているのもあるのだろう。そんな作品だけど、残念ながら邦訳はない(たぶん、あったら教えて)。だから、この映画はその作品に接近するすごく大切な手がかりでもある。

舞台はシチリアのカターニア。ブルボン家につかえてきた名門貴族ウゼーダ家が、イタリア統一の数年前の1855年より、ガリバルディのシチリア解放を経て、1882年のイタリア総選挙までの時期を描く。激動の時代にありながら、ウゼーダ家はいつのまにやら、あたらしいイタリア王国のなかで、かつてブルボン家に支えながら掴んできた地位を確保しているという結末。

それって、まさに「変わらないためには変わらなければならない」というヴィスコンティ/ランペデューサの『山猫』のサリーナ伯の言葉さながら。いやむしろ、それよりも露骨かもしれない。イタリアではトラスフォルミズモとして知られる政治的な変節は、結果的であるにせよ、民衆のための改革(グラムシ的な革命)を狡猾に骨抜きにしてしまう。

そんな小説をほぼ忠実に映画化したロベルト・ファエンツェアだけど、この映画を撮った意図の確信には、デ・ロベルトの100年前の言葉が、どうして現代のイタリアにここまでリアルに響くのかという驚き。それがこのゾッと歴史感覚がこの大河ドラマの核心にある。
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