薬に溺れ、母親にウリを強要されてきて、絶望の中で死んだように生きてきたあん。多々羅と出会い、必死に自分の毎日を繋ぎ、守り、本当の意味で生き始めたあん。薬をやらなかった日につけられた丸がどんどん増えて、ひらがなばかりだった日記に漢字がちらほらと増えて、教養が広がり、彼女の世界が広がっていく。けれどコロナが流行し、世界は閉ざされ、彼女の世界も徐々に狭まっていく。数少ない彼女の拠り所も奪われていく。ただ彼女は誰かに必要とされる存在になりたかったんだと思う。介護職を選んだのも、押し付けられた子供を無碍にせずそのまま我が子のように世話をしたのも、ただ誰かに必要とされたくて、ただ誰かのために何かしたかった。でも、子供は児相に引き取られた。あんの母親が何もしなくても職を失ったあんがあのままずっと子供の世話をすることは難しいと思うし、遅かれ早かれそうなっていたと思う。そしてあん自身、自分のもとにいるよりも子供は幸せで安全かもしれないと思ったんじゃないだろうか。電線から飛び立つことのできないカラスを見上げるあん。そこから飛び立てないカラスはきっと、落ちるしかない。すべてを失い、結局誰にも必要とされず、誰にも何も与えられない。丸が途切れた日記。社会に掬い上げてもらえなかったあんのこと。そして、そんなあんが掬い上げた子供のこと。
事情がある女性が身を寄せるシェルターの内見をしてるあんの、窓から差し込む光に照らされた笑顔が忘れられない。あと最初にラーメン屋に行った時の麺の啜り方すらもおぼつかないあんの、あらゆる教育の場を奪われてきたであろうその姿。それから終盤の、あんが子供の乗ったベビーカーを必死に抱えながら階段を上るのに対して、母親は何も手を差し伸べず足早に階段を上っていくシーンでああダメだと思った。多々羅の最後の言葉は自分自身への言葉でもあったんだろうな。最初は救いたいという気持ちだけだったものが、自分だけが彼らを救えるという驕りが生まれ始めたのかなと思う。そこから弱みにつけ込んでしまったんだろうけれど、もしも彼らに救いの手を差し伸べる人がたくさんいたならそんな驕りも生まれることはなくただ純粋に支援をしていたんじゃないか。だけどその積み上げたものを無いものにしたのは多々羅自身で、でも、あんのことをあんの未来を信じ続けたのもあんと心から繋がろうとしていたのもあんを見放さなかったのも多々羅なんだよなあと、どうしようもない気持ちになった。