「毒親」というパワーワード、若い時は自分も含めて反応する友達は多かったです。
今たまたま読んでる本『母という呪縛、娘という牢獄』では、娘が母親を殺めてしまうけれど、母娘の関係が愛というより支配になっていて何ともやりきれません。
韓国は日本よりはるかに競争が激しいらしいから、スタート地点で遅れを取らないようにと、母親の気負いも大きいのかも。でも、娘が青魚のアレルギーなのに気付かないってありえない。どんな親でも、子供は親に愛されたいから期待に応えようとする。このあたり、主人公の気持ちが判って辛かった。あと、毒親で取り上げられるケースは圧倒的に母親のほうが多いものの、後半の教師と父親の関係も気の毒でした。父親の差別というと、『一つの太陽』を思い出すけど、あれは特に悲惨な結果だった。
子供は別人格なのだから、支配しようとしたり、自己実現のツールに使ってはいけないとどうして判らないのかな。たっぷり愛情をあたえて、観察し、適性や才能を見極めて適宜後押しすればよいのに。まぁ、口でいうほど簡単じゃないのは百も承知だけれども。
最後の娘の言葉と輝くような笑顔、思わず涙が出ました。あんなことが言えるのは、彼女はすべて判っていて全部ひっくるめて耐えてたんだなと。
『ジェニファーのしたこと』、『アメリカン・クライム・ストーリー/ヴェルサーチ暗殺』の主人公の親も毒親だったから、洋の東西を問わない普遍的な題材なんでしょう。自分も親なので、戒めのために見ているし、多分今後も見続けると思います。