「菊とギロチン」「福田村事件」「Winny」等、社会派作品の難しい役にも挑戦する東出昌大の役者としての才能にはいつも惚れ惚れする。本作はそんな彼が都会を離れ、狩猟で獲た鹿やイノシシを食べて生活する様子を描いたドキュメンタリーだ。
いきなり鹿の解体シーンが映し出される等、映像的なインパクトがかなりあるので、嫌が応にも作品の発するメッセージが観る側に飛び込んでくる。生命を頂き生きながらえる自分とは何者なのか?
東出が慕う狩猟のベテラン達が語るノウハウや心構えも、その世界を達観する人達の言葉だけあって、とてもインパクトがあるし、そんな先輩や山村の住民達のコミュニティで慕われる東出の人柄を知る事ができる作品でもある。
一方で、何故彼がこの生活を送る事になったかの経緯は殆ど触れられず、親交が深いというMOROHAの歌詞によって代弁するような形が取られている。アコースティック・ギターの低音弦がスピーカーを揺らすほど迫力のある録音が素晴らしく、MOROHAの音楽が東出と並ぶ本作の主役と言っても過言ではない。
しかし、その引力が凄ければ凄いほど、本作の前段となる東出の心境が本人の言葉で語られないもどかしさと言うか、ずるさを感じてしまったのも事実。評価が難しい作品だ。敢えて言えば、ノンフィクションではあってもドキュメンタリーでは無いという事かもしれない。