津次郎

コンテイジョンの津次郎のレビュー・感想・評価

コンテイジョン(2011年製作の映画)
3.5
よく知らないがコウモリはウィルスにたいする抗体をもっている。
しくみは解明されていないが多数のそれを保有しながら生きられるのだそうだ。

英語圏のツイッターやreddit等でバイラルとなった路肩看板がある。
Whoever said one person can't change the world never ate an undercooked bat.
ひとりでは世界を変えられないと言ったひとは決して未調理のコウモリを食べなかった。とは、意訳すると、生コウモリを食べりゃ世界を変えられる。という感じだろうか。アイロニカルだが事実だった。奇食は人類を滅亡させることができる。

ウィルスは自然界に遍在しているが、人間がそれを取り込むまでは脅威にならない。
──あくまで素人の理解だが。

だから獣からヒトへの感染がおそろしい。鳥インフルがなぜあれほどけたたましく警世されたのか、今となれば分かる。
これ(新型コロナウィルス)が、どこで、なぜ、どのようにして、はじまったのか、わからないが、春節に野味のようなことをしていると、獣が保有しているウィルスが、ヒトへ感染する可能性がある。

きっと、だれかが、undercooked bat(のようなもの)を食べたのである。それが大海の一滴でも、はびこる。はじまりは点である。小さな傷のあるりんごが腐敗する様子を高速早回しした映像があるが、そのりんごを地球に置き換えたようなことが、じっさいにおこった。
個人的には食べることが攻撃になりうることをはじめて知った。

しかし映画内のウィルスのスピードや感染力や致死率は、現実の新型コロナウィルスより、高い。映画は現実より、深刻である。
映画は、映画にするために、恐怖が描かれている。

ところが、映画より弱い新型コロナウィルスでも、恐怖をあおられた人たちが感染者を誹謗中傷している──というニュースがあがってくる。それらの人々の、想像もできない低い沸点は、映画以上の恐怖だ。

一方で、おびえすぎだと主張する著名人たちもいる。なにをそんなに怖がっているの?──という余裕、および庶民への嘲弄をみせる人たちである。

ところで。その両極──感染者差別をするような恐慌を感じている人々、風邪みたいなもんだと反密政策に抗う人々、その二者のあいだで、まともな一般庶民は、これ(新型コロナウィルス)を、軽視してもいないし、重視してもいない。怖がっているわけでもなければ、怖がっていないわけでもない。仕事や賃金が減ったことを嘆いているだけである。いったいいつまで続くのかと、手持ち金と動向を、見比べているだけ、である。低所得者層のわたしはてきとうなものを和えるパスタはもうこりごりである。禍が終わったら300円くらいのおごったレトルトで和えたい。

Kate Winsletが亡くなるのが辛かったが、主役格が亡くなるところに、この映画の鋭さがある。現実にも著名人が亡くなっており、分け隔てない罹患を、克明に監修していると思った。
また、感染経路を絵解するラストシークエンスで、豚をさばいた手をいいかげんに拭って握手を交わすシーンがある。禍にないときは何でもなかったが、この禍のさなかに再度それを見たわたしはおもわず「ああっ!」と叫んで遮二無二手を洗った。
津次郎

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