LalaーMukuーMerry

ア・フュー・グッドメンのLalaーMukuーMerryのレビュー・感想・評価

ア・フュー・グッドメン(1992年製作の映画)
4.4
日本の自衛隊は「軍隊」ではなく「戦力」でもない。少なくとも政府見解ではそうなっている。それは憲法第9条第2項と整合性をとるための苦しい説明だ。
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日本国憲法 第9条第2項:
前項の目的を達するため(戦争放棄)、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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第2項には「その他」の戦力も保持しないとなっているから、どんな戦力(=軍隊)も持つことができない。だから今ある自衛隊は軍隊ではないのだ。そして、第2文を素直に読めばどんな戦争をする権利(交戦権)もない。たとえ自衛のための戦争であっても交戦権はないと取れるのだが、ここは「自衛のための戦争をする権利は国際法上認められている当然のものなので、わが国にもそれはある」という解釈を取っている。
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今のままでは問題だという、まっとうな(と私の考える)改憲派の意見は次のようなものだ。
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1.戦力統制規範
現憲法では、戦力は認められていないから、当然戦力に関する基本的なことが何も定められていない。最も重要なことは戦力統制規範である。つまり誰が戦力を統率するかだ。今の日本なら総理大臣だろうと思うかもしれない、でもそのことはどこにも明記されていない。(憲法第66条に「総理大臣は文民でなければならない」と書かれているだけだ。総理と軍との関係は書けないのだ、戦力はないことになっているから)。旧憲法では、その立場は天皇と明記されていた。それでも旧陸軍が暴走した苦い歴史があったことを考えれば、何も書かれてない現状の方が戦力の濫用(軍の暴走)に歯止めが効かない、もっと危険な状態ではないのか。
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2.軍事法廷
自衛隊など各国の軍隊が多国籍軍として紛争地帯に送られた場合、通常は現地政府との間で地位協定が結ばれ、治外法権特権が与えられる。だから現地の住民を多国籍軍の兵士が誤射した場合でも、現地の国の法律で裁かれることはない。その代わり自国の軍法会議(軍事法廷)で裁かれることになる。
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ところが日本の自衛隊は軍法会議で裁かれることはない。なぜなら自衛隊は軍隊ではないから。そして憲法76条:特別法廷の禁止、によって日本は軍法会議を持つことができないから。また日本には軍法もないから。そうなると自衛隊の隊員は日本の一般の法律(刑法)で裁かれることになる。殺人、財の損壊は日本の刑法では重罪になる。たとえ自衛のための交戦を行って敵兵を倒したとしても、現状の法体系では刑法で裁かれることになる。そのような状態で自衛隊の隊員がまともに軍隊として行動することができるだろうか?こんな状態で日本の防衛ができるのだろうか?
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この作品は、アメリカの軍事法廷の作品であり、とても興味深いだけでなく、作品としてもよくできている。おまけに主演のトム・クルーズを始め、ジャック・ニコルソン、ケビン・ベーコン、キーファ・サザーランド、デミ・ムーアなど名俳優陣がさすがの良い演技をしている。裁判ものの作品は面白いものが多い。これは私の経験則だけど、本作もその法則を破らなかった。
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キューバのグアンタナモ米海軍基地で、(戦時ではなく)平時に起きた死亡事件をめぐり、容疑者となった兵士の裁判が行われる。上官の命令が絶対という強大・強固な組織の中で行われる軍法会議の特殊性、法のみに従うという裁判のあたりまえの部分をもねじ曲げようとする軍権力に立ち向かう弁護士の姿。法治国家のアメリカでも軍法会議というのは難しいのだと気づかされた。しかし、さすがアメリカだ、懐が深いと感心する。判決も、それを受け入れた兵士も実にまっとうで気持ちの良いラストだった。
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戦時事件の軍事法廷は、一体どのように進むのだろう? そんな興味が湧いてきた。
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軍事法廷がなく、将来も設置されることがなさそうな日本。憲法9条をそのままにして第3項を付け加えるだけでこと足りると考えて、国民をごまかそうという姿勢しか見えない政府。こんなんでいいのですかね?