Jun潤

ぼくが生きてる、ふたつの世界のJun潤のレビュー・感想・評価

3.9
2024.10.03

吉沢亮主演×『そこのみにて光輝く』呉美保監督×『ゴールド・ボーイ』『正欲』港岳彦脚本。
耳がきこえない両親を持つきこえる息子の、自伝的エッセイを原作とした作品。

ろう者同士の夫婦の元に一人の男の子が生まれる。
大と命名された男の子は、きこえない両親と、きこえるけどろう者たちに理解のない祖父母と共にすくすくと育っていった。
しかし小学校に上がり、親がろう者であり、手話ができる自分が周囲とは違うことを痛感する。
成長し心が大人に近付くにつれ、母の通訳も面倒になり、進路のことを相談することもできず、反抗的な態度を取るようになってしまった。
熱中できることを求め、東京へと移り住む大。
パチンコ屋でのバイトや編集の仕事をしながら、ろう者のサークルにて自身の経験を活かしていく中で、“きこえる世界”と“きこえない世界”の間に生きる自分のアイデンティティを、母から与えられてきた愛情に見出していく。

こーれはやってくれましたねぇ。
今作はきこえない両親を持つ“コーダ”である大の視点から描かれた物語であり、ろう者をネガティブな存在、可哀想な人たちではなく、ろう者たちの世界を独立させて描いていたように思います。
無音の中で働く大の父親の姿から始まり、子どもの泣き声も近付いてくる車の音もきこえないけど、お食い初めでやかましい親戚たちの喧騒もきこえないし、酔っ払った祖父の怒声も、祖母が日々唱えるお経も、ろう者や手話ができる大のことを珍しがる他人の声もきこえないというのは、雑音だらけのうるさい世界で生きることにおいては、嫌なことや悲しいことばかりではなく、ろう者が必ずしも可哀想な存在ではないことが伝わってきました。
しかしそうはいっても、手話がないと息子とも話すことができない、通訳を息子に任せてしまうなど、子どもを育てる大変さ、子どもの成長に伴う苦悩はやはり健常者には計り知れないものがあると思いますし、そのことも逃げずにしっかり描写していたと思います。

個人的に作中で一番ブッ刺さったのは前半の大の成長過程ですね。
母の通訳や独自の取り決めも、友達を家に招くとそれが当たり前でないことを自認し、母の存在を疎ましく、恥ずかしく思う感情が芽生え、なぜ自分だけがそんなことをしないといけないのかと、どうにもならない現実に文句を垂れる。
言ってることは“コーダ”だからこそのものかもしれませんが、母に対する大の態度などは自分が反抗期だった頃を思い出して懐かしく感じました。
こんな風に自分に当てはめることができたり、もっと家族の形が歪んでもおかしくなかったのにそうならなかったりしたのは、大の友達の存在が大きかったのかなと。
馬鹿にしたり大を差別したりするのではなく、変だと伝えはしたけれどそれ以上のことはせずに手話のことを教えてもらうなど、普通の友達の一人として接してくれていたことも、大が“コーダ”として成長していくのに大事なことだったんだと思います。
予告編の制服お亮、高校生かと思ったら中学生かい、まだまだイケるな……。

“コーダ”だから、『ふたつの世界』のことがわかるからといって橋渡しは絶対必要な存在なのか、必ずしも『ふたつの世界』は交わらなければならないのか。
ろう者同士の夫婦であっても子どもと共に過ごす幸せを感じられるし、ろう者同士の繋がりもあり、ろう者にもろう者なりの生き方がある。
それぞれの『世界』に良いことも嫌なこともあって、それぞれ独立しているからこそ、橋渡しの役割もあるし、相互理解もできるし、今ならスマホで筆談もよりしやすいだろうしそういうアプリだってあるから、もっとそれぞれの『世界』は自立していくのかも。
なのできこえるかどうかではなく、一人一人のアイデンティティと、個人同士の関係性が大事だなってことが伝わってきました。

気になったのは五十嵐大本人成分ですかね。
原作とタイトルを大きく変えてきているのだから、本人はモデル程度にすればいいのに、後々ライターとして活躍させるための出版社への入社などが唐突で、それまでになにか文章に興味があったり動機付けとなる経験があるわけでもなかったりと、ストーリーのノイズに感じました。
その辺りの描写に押されてか、大が東京で出会うろう者たちの描写も少なめでもうちょっと欲しいと思いましたし、順番が前後していたことで今作イチの名演だったラストの吉沢亮の涙に込められた想いも薄まってしまったように思います。
Jun潤

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