ぶぶこ

カンダハールのぶぶこのレビュー・感想・評価

カンダハール(2001年製作の映画)
5.0
イランのモフセン・マフマルバフ監督のアフガンを舞台にした映画です。ニュースでも何回か取り上げられたので、ご存じの方も多いと思います。
ストーリーは、今はカナダに亡命しているアフガン出身の女性が、一人アフガニスタンの街カンダハールに残された妹(地雷で足を失っているという設定です)から「私はもうこの社会に絶望したので自殺する」という手紙を受け取り、妹を救うべくカンダハールに侵入を試みる、というものです。その主人公ナファス(現地語で「呼吸」という意味だそうです)はそのカンダハールへの道程で様々な人に出会います。国連職員、難民キャンプ、強盗、マドラサ(イスラーム神学校)を放校になった少年、アメリカ生まれのムスリムで、アフガンに志願兵としてきた経歴を持っている黒人(この人が過去に本当に暗殺事件を起こしたらしいということで、話題になりました)、もらった義足を売り飛ばそうとする小ずるい男・・・。彼女はこれらの殆どをブルカ(頭からすっぽりとかぶるアフガンのベール)越しに見ることになります。そして、アフガンはいわば「何重ものブルカ」をかぶらされた社会であることを知っていきます。
最初は「彼女はいつカンダハールに着くことが出来るのか、妹を助けられるのか」という方に興味が向くのですが、次第に物語はそちらには興味を無くし、彼女が道ばたで会う無数の人、色とりどりのブルカに包まれた女たちに興味を移してしまい、最後はある意味で驚く終わり方をします(ここで喋るとネタばらしになるので書きません)。
でも、それは後で考えると当然と思うようになりました。主人公がカンダハールに着いて妹と再会できたとしても、そこから国外に逃げるのは殆ど絶望的でしょう。「スパイ大作戦」をマフマルバフは描きたかったのではないでしょうから。
それよりも彼が描きたかったのは、やはり「ブルカ」の象徴される「閉塞感」だと思います。主演女優が言っているのですが、「ブルカは偽りの安心感を与える」と鋭い指摘をしています。ブルカをかぶれば、男の(好色な)視線を気にしなくても良いわけですから、ある意味で安心です。これは、18世紀初頭にイスタンブルに滞在したヨーロッパ女性が「ヴェールは匿名性の自由を与える」と言ったことを彷彿とさせます。でも、その安心感はやはり偽りに過ぎないのです。そして悲惨なことに、この「偽り」にすがらなければアフガン女性は生きていけないのです。
マフマルバフ監督は、世界がタリバン支配下のアフガニスタンに注目するきっかけとなったバーミヤンの石仏破壊についてこのように語ります。彼の著書『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない、恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』(現代企画室、2001)から引用します。何度読んでも、彼の詩的表現にはうならされます。

「ついに私は、仏像は、誰が破壊したのでもないという結論に達した。仏像は、恥辱のために崩れ落ちたのだ。アフガニスタンの虐げられた人々に対し世界がここまで無関心であることを恥じ、自らの偉大さなど何の足しにもならないと知って砕けたのだ」

彼のこの逆説的な表現の前に、我々は恥じ入らざるをえないだろうと思います。
 「世界のどこよりも神の名が語られるというのに、神にさえ見放されているかのよう」(マフマルバフ)なアフガニスタンを描いたこの映画、やはり一見の価値有りです。
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