エディ

ポビーとディンガンのエディのレビュー・感想・評価

ポビーとディンガン(2005年製作の映画)
3.3
ゴールドラッシュのようにオパール原石探しに湧く豪州の田舎町を舞台に、オパール探しを生業にする父と住む兄が空想家の度が過ぎて命の危険も出てきた妹を救おうとする物語。感動仕立てなのは良いけど、後半盛上げようとしているせいか、主人公一家を無理に厳しい境地に追いやっている脚本の強引さが鼻に付いてしまった。

オパールの採掘地知られるライトニングブリッジは、一山当てて巨万の富を築こうという夢を持った荒くれ男たちが世界中から集まっていた。主人公の少年アシュモルやその妹ケリーアンの父もそんな男の一人だったが、彼の採掘場所からはなかなか良い原石が出ないで生活に困っていた。
同世代の子供たちがほとんどいない砂漠の田舎町の中で、ケリーアンはいつしか架空の人物であるボビーとディンガンと友達になる。初めはそんな連中はいないと厳しく接していたアシュモル始めとする家族たちだったが、ケリーアンの病的なまでの執着で、見えないボビーやディンガンと食事をしたり遊びに連れて行くようになってしまった。ある日、ケリーアンを現実社会に適用させようとパーティーに出席している間、父がボビーとディンガンを連れて採掘現場に行ったところ、落盤事故に遭ってしまった。幸い、父は無事だったが、ボビーとディンガンが埋もれたままだと言って聞かないケリーアンは、みるみるうちにやせ衰え本当の病気になってしまった。
それだけでなく、父は他人の採掘場所を荒らした泥棒という嫌疑もかけられ、家族の居場所がなくなっていく。
そんな中でなんとかして、ケリーアンを救おうと考えたアシュモルはある考えを思いついた。。。

誰しも子供のときは空想の友人が一人や二人はいただろうが、この映画のケリーアンのそれは完全に病的だ。それを社会派ドラマとして描かずファンタジー的に描いているのは、ケリーアンの空想する友人達と大人たちが追い求めるオパールの夢をうまく対比させることに成功しているからだ。
同世代の友人がいないケリーアンにとってはボビーとディンガンがオパールの原石のような存在だったのだ。その二人はオパールの採掘現場の落盤事故と一緒に消えてしまう。

そこで大人の夢は終り、少女の命も終るかと思われる展開までこの映画は追い詰めていくが、ラストは予定調和的なハッピーエンドになる。
空想の存在を否定せず、上手く彼女の気持ちを処理してあげた兄アシュモルの優しさと大人びた対応が胸に来る。

しかし、その反面、感動的なラストにするための、家族の追い込み方が半端ないので引いてしまうし、オパールに取り憑かれ子供たちのケアができない夢想家の父親と存在感が薄い母親にはイラついてしまう。

田舎町での家族の結束を強調すればもっと感動したかもしれないけど、アシュモル以外の登場人物があまりにもへんてこりん過ぎるので、共感しにくいのだ。さすがに10歳程度の少年に感情移入したまま最後まで映画を観ることができる歳じゃないので、まあまあ良かったけどなんだか強引な脚本だなと感じてしまった。
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