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凶気の桜のeyeのレビュー・感想・評価

凶気の桜(2002年製作の映画)
3.6
"凶気の桜" (2002)

先日の北野監督作品 "ソナチネ" にも通じる
暴力的映画 とはまた角度が違う作品

なぜ今 観たのかよく分からないけど。。

愛国心・反米思想の元に白い戦闘服に身を包み
"暴力"によって片っ端から渋谷を洗浄していく

山口・市川・小菅の3人が織り成す
ネオ・トージョー (※ネオ・東条英機)

不良狩りには基本思想があって

"奪還"/"強制"/"排泄''

上記の3つが軸になってる

渋谷の街で派手に暴れすぎた結果
ヤクザと消し屋(殺し屋)に目をつけられる

この映画は明確に "ある事" を教えてくれた

オトナ(ヤクザ)の喧嘩
コドモ(ただの不良)の喧嘩

思想や行動が "天と地" くらい明らかに違う

オトナをナメたり オトナの喧嘩に
片足でも踏み込んだら、、、

"絶対に無事で済まずに五体満足で生きられない"

ということが分かる

不良達 自ら国を愛するナショナリズムの元に

腑抜けた日本人の思想や行動を卑下する
"はけ口" として動いている衝動と

ヤクザ同士の縄張り意識の中での
本音と建て前では 全然生きる意味が違う

極端な右翼思想に走っているけれど
ネオ・トージョーには"暴力"しかない

それが自分達の元に返ってきてしまう

山口演じる 窪塚洋介氏が言っていた

>暴力こそ正義

先の北野映画の因果応報スタイル

>自分がしたことは自分に返ってくる

この映画でも真っ当に描かれている

何も知らないコドモは悪いオトナに利用され
騙されて 存在を利用され 果ては消されてしまう

オトナとコドモの関係性は
"蛇に睨まれたカエル" 状態

ネオ・トージョーが持つ思想

『誰でも気に食わない奴は殴る』

その部分に全く共感できないし
ホントに浅はかな稚拙なレベルともいえる

カツアゲやら暴力やら強姦が彼らのいう

"ナショナリズム"の イデオロギー

と紐付けて捉えていることに
相当な吐き気がしてしまう

近年の形で例えるなら

"ただ意識をこじらせる"

というレベルにまで3人は落ちている

暴力は暴力しか生まないことも見て取れる

この映画が公開されていた頃との日本は
時代がガラッと変わってしまっていて

明らかに風土や思想が変わっている
アメリカ云々はもはや過去の話

都市圏・地方を含め日本全体で
ありとあらゆる外国人だらけになっている

色んな人種や思想が混ざり合った結果
思想や価値観にも多様化が見られている

多様化に伴って日本ではヘイトスピーチが
大きく取り上げられて規制されている

一方で隣の国との思想のぶつかり合いの元に
愛国心が重視されているのも事実ではある

某巨大サイトのコメント欄には
ネトウヨを中心に愛国心を訴える人々も
また多く存在している

この映画は今の時代の流れとはまた違う思想
を持ち合わせていて その前時代とも言える

思想の矛盾と混乱が入り混じって若者たちは
衝動的な行動の責任を取らされる形となる

現在の日本の流れを捉える上で
過去の思想を省みることは重要だが

正直ネオ・トージョー自体のカッコよさは
まったく分からない、、、

だけど アナーキーな思想に加えて
身体を張って破滅的な方向に向かっていく

エネルギーそのものは目を見張るものがある

桜は春のわずかな時にしか咲かず
咲いたと思ったら早々に散ってしまう

その花言葉は "精神の美"

ネオ・トージョーの精神性と美が通ずるかは
定かではない

けれど

キレイに桜が散っていく姿はまるで3人の
"狂気" (凶気)が散っていくような様態でもある

エンドロール後のラストのシーンには
賛否が分かれそうではある
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