かなり捻った、がその分正直、それ故に取っつきの悪い異色ドキュメンタリーを、11月に入って1、2日と続けて観て、少し妙な気持ちになっていたところに、これぞ(嘗ての)王道、誰に対しても開かれていて、スッキリ感動・納得できる、このジャンルを代表するような作を観る。コミカルな非現実作劇を敢えて入れた目配せは、半ば昔の必須事項だった。
百年以上前、戦争に敗れ、国宝的美術品・歴史遺産を、こののち宗主国となる欧州の大国に、略奪されたアフリカの1王国。この度、現在の体制の大統領間で話がつき、その数数千点のうちの数十点が返却の運びとなり、その移送・到着後の中身と保存状態の鑑定・カラフル衣装の重鎮らを招いての式典・大統領官邸にて陳列鑑賞の流れ・今回の事の意義や是非についての若者のディスカッションの場の設け、がドキュメントされてく。
各権勢を誇ったり、半獣の怪異威厳の伝説の、王の木像の割合が大きいが、その内の一体が擬人化され、木箱の中からの主観的光景や、内面も含めた「闇」だけの世界が、長いBOと像の語りで描かれ、作品を挟んでゆく。故国から遠ざけられ隔離された長い時間も、輸送中も、面影など消え異国としか思えない故国到着後も、彼にとっては何も存在しない、真っ暗な世界でしかない。しかし、ラストではここに戻り居る事の意義を感じ、前へ歩み続けるだけ、それは「無限」に繋がってると、自然に勇躍たるスタンスに変わっている。
それは色んな立場の若者たちの意見の闘わせに立ち会ったことによる。1%にも充たない返還は、嘗ての宗主国による侮辱でしかない。大統領の尽力、力の衰えた旧宗主国の政治的配慮の絡みだけか。いやこれらの品は、文化や言語まで欧州に倣ってるだけの現在の我々のアイデンティティ、大きな「誇り」として現存を示している。これが新たな出発点になり得る。他品の本来の場への戻しは当然の自信に。それに現在の国にも、風習や行事の無形文化財は残っている。
美術品の扱いには、係員の仕草や姿勢・動かしチェックする設備や空間の整備された厳かさ、を活かすタッチがここでは、間を置かないせっつき方・誠実さと正直さの、自然な立ち上り・叩き込みに変わり、観てる側も焚きつけられ、目を開かされる。
期せずしてクレジットタイトルに入ると拍手が止まなかった。高名な前作を持つ気鋭の監督、三大映画祭のひとつの最高賞獲得、といった観る側に生まれがち気負いをスッと拭ってくれる、映画黄金時代も彷彿とさせる銘品。当時の俊才、市川崑やワイルダーのセンスより明らかに上。
映画文化への意義はある。が、今どきの皮肉やシャープさも怠ってないとはいえ、正直これを作品化する時の、作者のモチベーションも今一つ分からず、共感の度合いが完全には上がって来ないのも確かだが。まぁ、この題材ならライトでベストなスタンスなのかなぁ。