遺体を切り刻む連続殺人鬼と、良き父親。二つの顔を持つクーパー(ジョシュ・ハートネット)が、娘と訪れた音楽ライブで警察官に包囲され、会場からの脱出を試みる。
シャマラン贔屓な部分は否定できないが、普通に良作。スプリットに近いかな。
切り刻まれた人格を示すカット割りが序盤から冴えている。ステージに熱狂する群衆と、身長も目線も明らかにズレている主人公。友人の母親との会話の切り返しは噛み合わない。したたかに脱出経路を探す彼の目線が、人の流れに巻き込まれてもなおカットを割らないトラッキングショットで描かれる。脚本のハッタリに頼らず、演出とカメラワークで引っ張る「良い時のシャマラン映画」だ。
東京ドームでライブを見ると、演者が豆粒サイズにしか見えず「ほぼ2時間スクリーン見てたな…」となることがあるが、あの現象を映画に取り入れている作品を初めて見た。本作のカメラが捉える映像=主人公=実像vs劇中のスクリーンやスマホが捉える映像=脇役=虚像を織り交ぜつつ、ステージの表と裏を使い分け、主人公と脇役が入れ替わっていく中盤が素晴らしい。逆転のスイッチを迂闊に押す役割をカメオ出演のシャマランがやってて笑う。
そこからは文字通り「どこに連れて行かれるかわからない」展開に。分裂した世界が一つになる(とセリフで言う)シーンは痺れた。ヒッチコックフリークのシャマランらしく、犯罪者の振る舞いにディテールを詰め込んでいるようでいて、単なるミスリードだったり。50年代映画のような室内劇ベースのサイコサスペンスと化し、どんどん絵面は地味になっていくが、主役と脇役の相次ぐ逆転が息をつかせない。
オープニングで流れるDon't wanna be yoursから、親子間の支配欲が作品の通奏低音として流れている。これを歌い、作中で歌手として登場するサレカ・シャマランはシャマランの実娘。娘のライブ映像を撮りたいだけの親バカ映画と思いきや、ライブどころではない一筋縄では行かない展開に、この親にしてこの娘アリだなと感じて楽しかった。