Jeffrey

コーカサスの虜のJeffreyのレビュー・感想・評価

コーカサスの虜(1996年製作の映画)
3.5
「コーカサスの虜」

冒頭、チェチェン紛争下のロシア。ロシア軍に徴兵されたワーニャ、ロシア軍駐屯地に派遣された若き兵士、人質交換、ゴツゴツとした荒涼の地、銃撃戦、娘、足枷、納屋、替玉、ヘリコプター、息子たちの両親、交渉。今、戦いは続いていく…本作はトルストイの小説"コーカサスの虜"の設定を、現代のチェチェン紛争に置き換え、映画化したセルゲイ・ボドロフ監督の力作で、この度VHS買って初鑑賞したが傑作。96年カンヌ映画祭国際批評家協会賞・観客賞、ソチ映画祭、カルロヴィバリ映画祭グランプリ受賞などしており、反戦を訴えたドラマだ。スタッフ欄をみるとミハルコフ組の人が結構いる。

さて、物語はワーニャは軍の身体検査で、祖国に仕えるに適格と認定を受け、コーカサスにあるロシア軍駐屯地へ派遣されてきた。彼はロシア兵として初の戦闘に出かける道中でチェチェン人の待ち伏せにあい、准尉であるサーシャと共に、捕虜となってしまった。2人を捕まえたのは、チェチェンの山村に住むアブドゥル・ムラットで、実は彼の息子はロシア軍に捕らわれており、ロシア兵2人と自分の息子との捕虜交換を望んでいたのだった。気を失ったまま山村に連れていかれた2人は、村人の祈祷と看病によって、やがて目を開ける。すぐさま脱出を試みるが、あっけなく失敗し、足かせをはめられた上、お互いの足かせは鎖で繋がれ、自由に動き回る事はできない。納屋のような小屋の中に入れられ不安に駆られるワーニャは、ベテランのサーシャに自分たちは今後どうなるのかと質問を投げかける。そんなワーニャをサーシャは冷たく突き放す。

村の長老たちは、ロシア兵が村に入ることをよく思っていない。早く2人を殺してしまえと言われたアブドゥルは、ロシア軍の駐屯地で捕虜になっている息子と交換したいのだと説明する。一方鎖で繋がれたままの2人は、軽い労働はあるものの食べ物も与えられ、比較的に良い待遇を受けている。一緒に行動する時、最初はワーニャをうっとうしく感じていたサーシャも、徐々に心を開いていく。また、彼らの見張り番である口のきけないハッサンやアブドルの一人娘ジーナととも打ち解けていく。ある日、2人とアブドゥルの息子との捕虜交換に応じたロシア兵が近くまでやってきたが、連れてこられたのは息子ではなく、替え玉だった。怒ったアブドゥルは2人を連れて村に戻る。息子を取り返すためにアブドゥルは、2人に母親へ手紙を書けと命令する。村人たちは早婚で、ジーナも適齢期を迎えている。

嫁の貰い手がないと村の子供たちに嫌われ沈んでいるジーナに、手先の器用なワーニャは、木の切れ端で鳥を作り、プレゼントをする。次第にワーニャとジーナは、お互いの心を通わせようになるのだった。河原で石を拾うと言ういつもの労働中、何者かに2人は拳銃で狙われる。弾丸はわずかにそれたが、狙ったのは彼らが村にいることに不満を抱く村の老人だった。ジーナが言うように、彼には3人の息子がいたが、2人はロシア兵に殺され、残りの1人はロシア軍に寝返り今はロシア軍の駐屯地にいると言う。また、ジーナは、ハッサンが口が聞けなくなった理由を漏らす。一方ワーニャの手紙を受け取った母親は、ロシア軍の大佐に捕虜交換を頼むが、らちがあかないため、直接アブドゥルとの交渉に踏み切ることになった。一方、サーシャとワーニャは、念願の脱走実行に移したが、途中で村人たちに見つかってしまう。そして逃亡中にハッサンと羊飼いを殺してしまったサーシャは処刑され、ワーニャは村に連れ戻される。

ロシア軍の駐屯地では、以前サーシャとワーニャを狙った村の老人が息子に会いに訪れ、彼は自分の息子を撃ち殺してしまう。その混乱の中で逃げ出したアブドゥルの息子もロシア兵に撃ち殺されてしまった。もはや捕虜交換は成立しなくなってしまった。村の穴倉の中で足かせをはめられているワーニャに、ジーナは父親に内緒で足かせの鍵を渡す。しかし、すんでのところで見つかり、アブドゥルはワーニャを連れて山へ登る。ワーニャの背後からアブドゥルは拳銃の引き金を引いた。しかしアブドゥルはわざと弾丸を外し、ワーニャを残し去るのだった。ワーニャは1人で山を降りるが、その時頭上をロシア軍のヘリが報復のためチェチェンの村に向かって進んでいく。やめろ、行くなと言うワーニャの声が虚しく空に響いた…とがっつり説明するとこんな感じで、ロシア兵ワーニャとサーシャの2人は、戦いの途中で敵の襲撃にあい、捕虜となってしまった。2人を捕らえたのは、チェチェンの山村に住む老人アブドゥル。

ロシア軍に捕らえられた老人の息子と彼らを交換しようと言うのだ。囚われの身でありながらも、次第に老人の娘ジーナら村人達と心を通わせ合うようになる2人であったが、交渉はー転思わぬ方向へ向かい始めるのだった…と物語はわりかしシンプルだ。文豪トルストイが150年前に描いた同名の短編をもとに、現代のチェチェン紛争下に舞台を移し、人間の愚かさを、コーカサスの大自然を背景に詩情豊かに描いた傑作である。このトルストイの原作を脚本として描いた人物はアルゼバイジャン人であり、さらにイスラム教徒であって、監督とは全く以て視点が違う人物だ。ここがまた面白い。そして制作のプロデューサーになっているのがカザフスタンの新聞社の社長と言うのもなんともおかしい。そもそも発電機を持っていっても、すぐに壊れてしまって、夜の撮影とかはトラックのヘッドライトで撮影したと監督がインタビューで言っていたように、かなり大変だったそうだ。



いゃ〜、映画の筋はいたってシンプルで、チェチェンの老人が2人のロシア兵を捕まえ、自分の村に連れて行った。彼はロシア軍に捕まっている自分の息子とロシア兵を交換しようとしていて、もし交換に失敗したら、彼はロシア兵を殺さなければならない。本作には監督の息子である人物が若いロシア兵の役を演じている分、非常に監督自身パーソナルなものになったのではないだろうか。どうしたら戦争を止められるのか、トルストイの戦争と平和についての考え方を使った作品であり、人生は短く、世界は狭いと言うのがこの監督のメッセージ性の1つであって、それでも私たちは努力する必要があると訴えかけているような作品になっていた。だから非常に重い映画にしておらず、どこかしら心を動かされるドラマの中に、ユーモアが入り混じっていて意味深い。

もともとこのトルストイの短編小説は児童向けに描かれていて、当時のチェチェン紛争に舞台を置き換えてとっている。そして当時は停戦が報じられるチェチェン紛争だが、トルストイが描いた150年前から、停戦と衝突、平和と報復が依然として繰り返されており、このロシアが抱える最も悲劇的な問題を初めて映画に描いた作品であり、単なる戦争映画ではなく、殺し合いを止められない人間の愚かさを、若いロシア兵と村の娘に交わされるほのかな恋心等を織り交ぜながら描いていっている。ミハルコフの「12人の怒れる男」もチェチェン人の青年を問題の点にして、物語を展開していたのがあったように、ロシアとは切っても切れない要素の1つである。この作品自体もチェチェンで撮影するつもりだったらしいが、ロケハンの段階で紛争下のため無理と判断し、隣接するダゲスタンの山脈にある小さな集落レチで行われている。

軍事行動は撮影現場から300キロ先で行われていて、アグール人(ダゲスタンの少数民族)が住むこの村は数多くの戦争を経験しているが(地元の伝説によればジンギスカンが攻略し損ねた村だと言う)、ソビエト連邦時代にも時代の波を被ることなく、村人は1000年前と同じ生活をしているそうだ。小さな家家が山原に蜂の巣のようにへばりつき、給湯も下水設備もないがテレビだけは普及しているらしい。夏の数ヶ月を除いて外からの行き来もなく、秋以降は天候が悪化するので山脈の曲がりくねった道は馬も車も通れなくなる。冬場の唯一の交通手段がヘリで、ヘリの出現は村人にとってイベントとなっている。だからクライマックスのヘリのシーンであゆ場面が映されたのだなと改めて思った。その村人たちはエキストラとして出演している。

この山脈の村での撮影は実にエキサイティングだったと監督は言っていた。何せ撮影隊が村の若者たちによって軟禁状態にされたと言うのだから。撮影隊が長く滞在している割に十分な謝礼を支払っていないと判断したらしく、半ば強制的なコニャックでの乾杯を繰り返しつつ延々話し合った末、彼らはやっと共通言語を見つけ、最後はダゲスタンの警官がやってきて話をついたそうだ。山ひとつ越えた向こうでは戦争が繰り広げられているとは思えないほど、のんびりとした村人たちや雄大な自然も、本作品の魅力の1つとなっている事は誰しもが思うことだろう。やはり監督の息子の若いロシア兵が非常に良かった。何といっても初々しい演技を披露していた。ちなみに主演の男は先ほども言ったミハルコフの作品に出ているロシアの名優オレグ・メンシコフである。スタッフ一覧を見ると大体ミハルコフの作品の常連が携わっている。

ここで政治的背景を少し述べたいと思うのだが、まず頭に地図を想像してみて欲しい。1番上にロシア連邦があるとして、その下に北オセティア、そこのすぐ隣にイングーシ、その隣がチェチェンである。その下にグルジア共和国がありダゲスタンがあり、その下にアルメニア共和国、アルゼバイジャン共和国がある。さらにアルメニア共和国の左はトルコ共和国になりその上は黒海になる。そしてダゲスタンの左側にはカスピ海があって、それを挟んでカザフスタン共和国がある。まずこれらの地政学的なものを踏まえてこの作品を見るとより面白く感じる。そもそもロシアとコーカサスの関係は常に複雑で、たびたび流血が繰り返されてきたのは学校でも習っていると思う。ロシアが19世紀にこの山脈地帯を南の国境内に組み入れて以来、この地はロシア帝国の頭痛の種として報復戦が耐えなかった。プーシキンやレールモントフ、トルストイを始めとする多くの作家がコーカサスを題材に筆を執っている。

コーカサス人ほど最良の友はなく、コーカサス人ほど最悪の敵もいないとはロシアの諺で確かあったと思う。ちょっと調べてないけど多分そんなことがあったような記憶がかすかに残っている。近隣諸国に秩序を押し付けることには長けたロシアも、数十の少数民族が住むコーカサスに覇権を確立することができなかったようで、広大な山脈の民とロシア平原の住民とはあまりにかけ離れている。世界観も違えば、戦争と平和に対する見方も違う。ソビエト帝国の壁に亀裂が入るやいなや、コーカサスの人々は銃をとった。かつての恨みや古傷を忘れているものは1人としていなかったらしい。1988年以降アルメニアとアゼルバイジャンは内紛に巻き込まれ、次いで北オセティアとイングーシの戦闘が勃発。アブハジアもグルジアからの独立を求めて戦っている。これらは全てコーカサス内の紛争だが、94年12月ロシア軍対ドゥダエフ大統領率いるチェチェン軍の戦闘が始まった。ドゥダエフ大統領はロシアからの離脱と独立共和国の創立を求めていたが、96年4月ロシア軍のミサイル攻撃で死亡、後任にヤンダルビエフ大統領代行となるのは当時のテレビニュースを見ている人なら誰もが知っている事実である。

5月、ロシアのエリツィン大統領とヤンダルビエフ大統領代行が停戦で合意したが、8月で再び戦争が始まった。レベジ安全保障会議書紀が交渉に当たった結果、停戦と独立問題の5年間棚上げで最終合意に達した。11月には、新ロシア派のザブガエフ内閣が総辞職し、97年1月に大統領選が行われ、穏健派のマスハドフ氏が選出された。ロシア連邦政府は、マスハドフの政権を合法的と認めてはいるものの、独立を認めないとの方針を示しており、決して予断を許さない状況となっている。この紛争で、既に何万人もの兵士が犠牲となっている。前世紀、民族の英雄イマーム・シャミーリ率いるチェチェン人が、コーカサスの平定者エルミーロフ将軍の下、最も手強い敵であったことを思い出さずにはいられないと言う人もいるらしい。歴史は繰り返す。同じ山脈地帯で報復的軍事行動が、旅隊や捕虜や人質に対して行われている。すべてはレフ・トルストイが150年前にコーカサスの虜で描いた世界そのままだったとこの映画は言いたいのであろう。


果たしてどうなのだろうか、ロシア人とチェチェン人は、この前まで隣り合って暮らしていたのに、若者たちが殺し合っている姿を両親レベルでこの作品を劇場で見た人の気持ちはかなり複雑だろう。心が痛くなると思う。こんな悲惨な事態を、ロシアの一般の人たちはどう見ていたのだろうかと少し気になる。私は何でもかんでも日本に置き換えて物事を考えることが好きだから、こういった作品を見ると真っ先に沖縄の独立問題として、沖縄と本土の泥沼化したこの作品のチェチェン紛争のように考えてしまう。歴史、宗教、文化と民族といった要素が複雑に絡まった映画は、色々と考えさせられることが多い。この映画は少なからず市民の目とチェチェンの紛争を描いている。でもこの映画よく考えてみると凄いなと思うのが、息子が捕虜になってしまって解放するべく母親がわざわざやってきて、ロシアへの母親が戦場まで出向くと言う形をとっているというのが凄すぎる。日本だったらこんな言葉絶対に許されないだろう。

そもそもコーカサスと言うのは英語読みであり、ロシア連邦の最南端カフカス地方のことを表している。チェチェン共和国は、面積約14,500平方キロメートルでほぼ日本の岩手県位らしい。主要民族はチェチェン人で、彼らが80万人に満たないイスラム教徒であるそうだ。そもそも19世紀のカフカス戦争は25年間も続き、チェチェンの人口が半減し結局ロシア帝国に合併される事はわかるのだが、黒海とカスピ海に挟まれたその地方は、南のトルコ帝国と北のロシア帝国の覇権争いの場になっていたと改めて感じた。特にチェチェンのある北カフカスは、18世紀以来ロシアの侵略の対象になり、民衆が激しく抵抗していたし、様々なカフカス民族の中でも最も戦ったのがチェチェン人なんだろうなと勝手ながらに思う。それでこそデ・パルマのベトナム戦争映画の傑作の1つとして有名な「カジュアリティーズ」でのソンミ村の虐殺を彷仏とさせるようなアメリカ軍による戦争犯罪を描いた作品同様に、95年の4月にサマーキシと言う村で起きた虐殺事件であるこの事件も忘れがたい。

ロシア軍は、この村に隠されている武器を提出しろと要求して、長老たちは村中の武器をかき集めたが、要求された数には及ばず、ロシア軍(主に内務省軍)は村に突入して三日間で無防備な村人を約300人殺害したと言う事件もぜひとも覚えておいてほしいものだ。確か、グローズヌイ市内は全滅状態で中心部から少し離れた往来で、ロシアの軍人たちがチェチェン人の少年や老人を銃床でめった打ちにしていたのもあった。これが無差別爆撃を起こした94年12月の話である。この「コーカサスの虜」と言う作品を見るととことんまでにいろいろな情報が伝わってくる。ちなみに先程言ったロシア軍による無防備な村人たちを殺したという事件で、ロシアの人権団体の調査によると、ロシア内務省軍が、無防備の村人たちを火炎放射器で攻撃し、麻薬を売った軍人が手当たり次第に人々を殺し、略奪を重ねていたそうで、14歳上の男は逮捕され、強制収容所に送られたとの事。

そんでその事件をパルチザンが村から出て別の場所に移動した後に引き起こされたらしく、ロシア軍は通常、空爆や遠距離からの砲撃で一般市民を攻撃し、チェチェン兵やパルチザンとの接近戦を非常に恐れていた。兵士が一対ーで対決するような戦いが本当に少なく、ロシア軍は女の子たち、老人を相手に戦っていたようなものである。そのため、この戦争では子供や老人など、市民の死亡率が非常に高いとされている。とりわけ帝国主義のロシアの旧植民地時代の時から支配地の今現在も、価値観や文化を持つ世界の対立を解消するには帝国(米中露)が意識改革を行うががない限りこのような土地問題や民族紛争は決してなくなる事はないだろうなといつもながらに結局は思ってしまう。この映画も結局ロシア側への反省が描かれているわけでもなく、戦争に対する言及も曖昧であり、戦争に対する罪の意識もほとんどないと思われる。結局のところ捕虜である息子も殺されてしまって、でも結局親同士が話し合っても解決に至らず、そもそも軍にとっては新兵の生死などは全く無関心であると言うこともこの映画を描いている。戦場の息子たちの話にフォーカスを当てながら、敵対する側の父と息子、そして母と息子の出来事を対照的に描いている。長々とレビュー書いたが、こういった紛争映画が好きな方にはオススメできる。
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