ストーリーを捉えるのに時間が掛かってしまい、その最中何を考えていたかというと、「この筋肉集団は嫌な臭いしなさそう」ということである。同じ汗臭でも、満員電車で嗅ぐ汗と、ベッドで愛を育みながら嗅ぐ汗とでは、まるで訳が違うのであり、つまり彼らは後者の汗っぽいのである。ちなみに私は前者の汗しかかかない。
というよりも、逐一映される肉体美が、直接的なホモセクシュアルに作用していない感じがある。最近の映画で「肉体美が映ったら、そういうこと!」と教わってきた身としては、かえって新鮮だ。つまり、彼らの筋肉は見せ筋ではない。社会に筋肉が咀嚼される以前のような、原初的で爽やかな身体。ロケーションも一役買ってか、訓練シーンの有機的かつ連続的な運動もどこか上品であった。そして、集団として形成しながらも、人種や身体のしなやかさの違いに、たしかな「個」がある。そのコントラストに美しさがあるのかもしれない。この集団に混ざる「ほほえみデブ」が見たい。それはきっと美しい。
ドニラヴァンは『アレックス三部作』でエネルギッシュな身体表現を見せてくれる人という認識があったけど、こんなにも動けたとは……そこに「死」の不可逆性に抵抗し続けるようなエモーショナルも乗っかって……なんか凄かったね。