このレビューはネタバレを含みます
3章目の衣装に注目──ちゃんと不快に仕上がっていて安心した。直近ヨルゴス・ランティモス監督作を数本観て、観客を不快にさせること自体を目的のひとつにしている人なんじゃないかと思っていたところだったので。『哀れなるものたち』公開時もそうだったけど、今回も露骨な性描写に一部から批判が集まりそうだ。そもそもが俳優をモノのように扱って撮っているように見える作風だし(実際はそんなことないと信じてる)。ところがその不快感こそがヨルゴス・ランティモスの作家性なら、文句を言っても彼の思う壺ってことになる。なんと巧妙な口封じ。なお私個人としては『哀れなるものたち』の性描写は物語上必須、今回の『憐れみの3章』のそれは必要とも思わないけど不要とも思わないって感じ。
そんなヨルゴス・ランティモス作品の格を支えているのが「ここはこう撮らなきゃだめなのっ!」という声が聞こえてきそうな徹底したこだわり撮影。気になってしまって集中が途切れないので、強制的に画面に釘付けにさせられているような感覚になる。王家衛(ウォン・カーウァイ)作品におけるクリストファー・ドイル撮影と同種の引力。本作でも1章目の“ジェシー・プレモンスが車椅子からR.M.F.を転がり落としてから車で轢き殺すまで”と3章目の“マーガレット・クアリーがプールに飛び込んでエマ・ストーンが追いつくまで”をワンカットで撮ってるのとかすごいもん。
私がいちばん好きだったポイントは衣装。特に3章目、ジェシー・プレモンスが着ている僧侶っぽいダボっとしたベージュのセットアップとエマ・ストーンが着ているブラウンのセットアップが良い。ジェシー・プレモンスは坊主、エマ・ストーンは髪色もブラウンと、ヘアスタイルも合わせてる。そして赤いタートルネックにピンクのフーディをレイヤードさせるウィレム・デフォーは絶対にオシャレ上級者。
最後踊るのずるいな。それまでどんなでも踊ったら良い映画になるじゃん。