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憐れみの3章のろくのレビュー・感想・評価

憐れみの3章(2024年製作の映画)
4.7
やってくれたな!やってくれたな!もう大大大大好きー!大人のための黒くて黒くて黒ーい童話をランティモス印で送られたらコッチは白旗あげるしかないじゃないってなるんですよ!

そもそもkindnessって言葉をなんと悪くとらえているんですかって話です。でもkindnessって親切って意味じゃないですか。それは「誰か」に親切にするってことなの。そしてその「親切」をランティモスは「誰かのため」って不遜じゃないって思いっきりいやーな感じでお話しするんですよ。

話は3つの章に分かれるんだけどそれぞれ「相手を支配するための親切」「自分を理解してもらうための親切」そして「自分の範疇に入れるために行われる親切」として語るんだ。そろそろわかるでしょ。そう、そこにあるのは「何らかの相手を懐柔するため」ってのがあるんだよ。そろそろ題名の意地悪さに気付かない。それは「tolerance」(寛容)でもなければ「mercy」(憐み)でもないしさらに言ってしまえば「love」(愛)でもないんだ。なんて意地悪な言葉なんだよって感じになってしまうんだ。

1話
いや世の中の人は親切の等価交換としてどれだけ相手を「支配」するかって話ですよ。「そこまでやってやるんだからお前は何か返してくれよね」ってなるの。そしてその「返してくれるよね」は次々に蓄積されていく。もう澱ですよ、澱。じわじわっと底にたまった沈殿物の毒は回るって話です。ああ、でも僕らはそうして支配されているんじゃない。家庭に、会社に、そして国家に。ランティモスの意地悪さはそれを跳ね返すことなんか出来ないよってことなんだよ。そして。もう最後のシーンなんかぐるぐる回っていやーって感じですよ。

2話
あなたは親切にすることでしか相手に取り入ることは出来ないでしょって話しです。もう怖い怖い。でもわかるわぁ。だってどうしても自分の方に来てほしいときなんか無駄に親切にするんだよ。それはほんとに「無駄」。そしていつの間にか「親切にする」ことが当たりまえになってしまう。でも相手はそう思わないよね。だってこっちの勝手な考えだから。最後のシーンはなんなんだって突っ込みもあるかもしれないけど、僕はあのシーンで少し救われたんです。だって大事なのは「kindness」ではなく「love」だから。愛だろ愛って叫んでしまいます。

3話
もうエマ・ストーンが止まらないです。止めようがないです。どうすればいいんだ、この女ですよ。カルト宗教を題材にしながらそこにあるのは親切の押し売りなんだ。親切にすれば「自分は分かってもらえる」わかんねーよそんなもんって座布団投げてしまいますよ。エマは暴走暴走暴走を繰り返してもう見ていて痛痛痛痛いたたたたー。そもそも車の運転から大暴走ですからね。最後まで暴走を繰り返しているのはエマだけじゃないはずだよ。それは自分をわかってほしい「お前」なんだよ。

というわけでいろいろ不評はあるんだけど僕は大好き。バックの音楽もドキドキしっぱなしでした。ランティモス、俺はついていくぜ!!!

※エマの最後の踊りに完璧にノックアウトである。なんだあの踊り。もう手叩いて笑ってしまったからな。

※(少しだけネタバレ)こぼしたケチャップは拭いても綺麗にならないんだ。それは親切も同じ。相手の反応を期待する行為はいつもじわじわと沁みていくのよ。そしてじわっと色を変える。白いTシャツはピンク色にそまってしまうんだ。

※題名だけはいただけないと思った。「哀れなるものたち」がヒットしたからこの邦題にしたのかもと思ったけど、どうなんだろう。「親切いろいろ」いやそれは島倉千代子だろとさらに突っ込んでしまった。

※わからないシーンも多くあるけど映画なんだからそれでいいと思っている。「わからないシーンが多い」と憤慨する方には申し訳ないけど「映画だからそれでいいんだよ」って思いもやまず。「わからない」ことはたくさんあるから面白いんだよ。
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