[より良い自分を夢見たことがあるか?] 30点
2024年カンヌ映画祭コンペ部門選出作品。コラリー・ファルジャ長編二作目。かつて人気を博したハリウッド女優エリザベス・スパークルは、今ではフィットネス・インストラクターとしてTVに出演することで生活をしていた。彼女の栄光とその風化はウォーク・オブ・フェイムの星で表現され、華々しく飾られたその星は時間が経つと共に風化していき、最終的には観光客がハンバーガーを落としてケチャップまみれになるのだ。そんな彼女はある日、若き分身を生み出す"The Substance"という謎のプロジェクトに誘われ参加することに。七日ごとに入れ替わること、"二人ではなく一人である"ことを絶対条件に怪しげな薬を受け取るが、若き分身スーはその条件を徐々に逸脱していき云々。そもそもこの"二人ではなく一人である"というルールが、二人の間で血を受け渡すシーンが何度も描かれているにも関わらずエリザベスとスーが独立した人間として扱われている時点で破綻しており、エリザベスの意識はエリザベスの中にしかないっぽいので"若い姿に固執するエリザベス"というのが描かれているわけではない、というのが一番の謎である。そんなん若い分身が暴走するに決まってんじゃん。そして、二人共何を目指しているのかずっと迷子なので、結局二人を喧嘩させる以外に話を進める方法がなく、よく分からん衝突を繰り返す。また、冒頭から接写や不快な音を用いた露悪的な描写が多く、中盤以降のボディホラー的な描写も小手先の露悪描写に終始している印象を受ける。基本的にはエリザベスとスーしか出てこず、内面化されたルッキズムやエイジズムをグロテスクに表現したいのかもしれないが、結局はmale-gazedなソフトポルノにしかなっていないのも残念。ルッキズムとエイジズムを信奉する醜い業界人も登場するが、その人物像と同じく批判も薄っぺらい。スタジオの廊下やトイレなんかは『シャイニング』にオマージュを捧げまくっていたし、終盤は『キャリー』をやりたいんだろうけど、安っぽいパロディの域を出ないどころか、完全に私の嫌いな映画史フリーライドで、勘弁してくれって感じだった。長い廊下が強調されるのは二人を繋ぐ細い管の連想にも見えるのでそれだけは良かったけど、それしか出てこないのでクドい。まとめると、『TITANE』に期待しそこにあったものが本作品には何一つなかった。というか、本作品に『TITANE』を期待した私が馬鹿だった。