【掃き溜めの悪魔は表層的なものまで投げ捨てる】
動画版▽
https://www.youtube.com/watch?v=WMfcVnlcA_E
有料批評: VTuberの労働環境から『サブスタンス/The Substance』を捉え直す▼
https://note.com/chebunbun/n/n2487088fbb79
カンヌ国際映画祭にて脚本賞を受賞したコラリー・ファルジャ監督新作『The Substance』。本作は同監督の短編映画『リアリティー+』の延長線上にあり、肉体の変容と他者との関係性を模索したものとなっている。『リアリティー+』では、メタバースやVTuberなどが登場した2020年代からすると、あまりに表層的な関係性しか描かれておらず評価しにくいものがある。ではそれから10年近くがたった今ならどうなのか?非常に期待して観た。なんたって脚本賞を受賞しているもんだから。しかしながら、実際にはクローネンバーグというよりかはVHS時代のグロホラーがうっかりカンヌで賞を獲ったレベルの作品であり、タイトルを発した瞬間ネタバレになるような引用が幾つか登場するのだが、どれも使い捨ての要素でしかなく、せっかくの特殊メイクも全く活かされていない残念な作品となっていた。
主人公は50代に突入した女優である。ハリウッドに星が刻まれるほどの人気女優であったが、今やその星も亀裂が入り、ファストフードがべちょっと溢されており、社会から忘れ去られるのでは?といった不安がつきまとう。そんな彼女は、特殊な医療に身を投じる。注射によって、脱皮し、若い分身を生み出せる新しい技術に挑戦するのだ。若々しい肉体を得て大満足するのだが、これには条件があった。
「7日毎に肉体を交換すること」
毎日、脱皮した老体からエキスを搾り取り、自分に注入する必要がある。そして7日経ったら一旦、老体に戻る必要があるのだ。しかし、老体に戻ることで、より「若い美貌」への渇望が強くなり、ルールを逸脱していく。若い分身も、新しい名を語るようになり、老体である自己と新しい自己との間で対立が起きる中で身体に異変が生じていく。
本作において「服」「肉体」双方を纏う描写が反復して描かれる。ファッションはなりたい自分を表現する役割があるが、与えられた肉体から逃れられない。いくら化粧をしても老体に対するmale-gazeの評価は「老体」である残酷さがある。しかしながら、本作で登場する「新しい肉体」はメタバースやVTuberのように、そうしたmale-gazeへの評価を自由自在に書き換えることができる。それによって、内面を見てもらえるようになる。もっと言えばVTuberが配信者単体が生身で活動してもあまり評価されないであろうが、アバターを纏うことでその表層的な部分から真相的なところへ人々を誘導できるのである。
しかし、本作の場合はこうしたmale-gazeもとい他者からの眼差しの描写が希薄であり、常時「自分」にしかベクトルが向いていないので、確かに登場人物は多いものの、十分に服と肉体を纏う行為に対する比較検討ができていないと言える。
では百歩譲ってVHSホラーの露悪的で表層的な映画として観た際にどうなるのか?これもあまり良いとは言えない、実体はどんどんと朽ち果てていき、グロテスクな姿となる。動きもねっとり、鈍重なものとなるのだが、次の場面ではとてつもなく機敏に動き回っている。これは特殊メイクによる造形に対する掘り下げがあまりにもなっていない。瞬間的な嫌悪の快楽に溺れた映画となっており、表層/深層双方で貧相な作品であった。
なお、既に時遅しだと思うが、日本公開まで『The Substance』はミュートワードに設定しておいた方が良い。海外から、それこそMUBIですらガッツリ視覚的ネタバレをしてきている。中盤以降の展開は、初見での衝撃を大事にした方が良いと思うので、来年までどうかネタバレから逃げ切ってほしい。
P.S.個人的に、「老体」によって無視されるといったイメージはもう少し掘り下げようがある気がする。本作が女性だからルッキズム路線になっていたと思うが、老いにより無視される本質として「人脈」「資産」「文化資本」を持っている存在として観られなくなった時に無視されるといったものがある気がする。これは、例えば会社員が退職したとたん、後輩や同僚、友人から距離を置かれる状況に近いものがある。