TnT

ゴスフォード・パークのTnTのネタバレレビュー・内容・結末

ゴスフォード・パーク(2001年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

 アルトマンの群像劇、初見殺し説。何人か主軸になる人物はいれど、あとはもう無数にいて、しかも複雑な家族関係もあって誰が誰に恨みつらみあってみたいな関係性も把握できない。そんな中で起きるサスペンス。いや、こっちはまだ殆ど理解できていないのだがと思いつつも、ここらからむしろ人柄が解きほぐれていき、あれよあれよと人物関係が浮かび上がるのだ。とはいえ、最後までわからん人たちもいたけど。にしても、階級の差関係なく全員が等しく主人公として扱われるところに、アルトマンの愛を感じた。

 冒頭雨の中走る車の中、コンスタンスが水筒のフタが開かないと言って車を止めさせる。そして使用人のメアリーが車を降りて雨の中後ろの席の扉を開け、水筒を開ける。この一連で、貴族階級とその使用人の立ち位置が端的に表されている。

 一応主人公的立ち位置のメアリーが、ゴスフォード・パークに向かうことで観客の我々も同じく”お邪魔する”立場として物語に参入する。だからこそ、そこでの人物関係は我々に開かれたものではない。あくまで第三者として屋敷に入り、次第に人物を探る。それはまさにメアリーと同じ使用人目線だ。だからある意味で人物をリアルに探っていく体感映画として、集中力は必要だが楽しむことができた。そんな体感型のせいか、この映画が終わりを迎え、人々がゴスフォード・パークを去っていくのを見ると、少し物哀しい気分になるのだった。夏合宿を終えてしまったみたいな切なさに近い。大変だったけど、いろんな思い出もあってそれなりに楽しかったなぁ…みたいな。ましてやイギリス貴族体験なのでより貴重な感じがする。

 映画は誰が観るのか。当時の貴族階級にとって映画とは殆ど見向きもされていなかったようで、ゲストで呼ばれた映画俳優に対する”階上”の人たちの態度は相当冷たかった。アルトマン映画あるあるである歌唱シーンがまさにそれで、歌それ自体は階上じゃBGM程度だが、階下にとっては映画スターの生歌として皆階上を見上げ思いを馳せている。そう、階下の人たちにとっては映画はれっきとした娯楽だったのだ。ちなみに今作に出てくるアイヴァー・ノヴェロという人物は実在の人物だとか(こうした実在の人物を出してくるのもアルトマンらしい)。

 女性の悲劇へ。楽しい雰囲気の裏ではやはり女性が涙する。ここが階上、階下に存在する階級の差である(さらには階下の中にも階級が存在している)。階下の使用人の、自身の息子が殺人を犯す前に先回りして殺すという長年の使用人ならではの用意周到さと、それがあるじを殺すことになるという皮肉が良い。なかなかにドロドロした展開だが、後味は悪すぎない。結局は貴族階級自体が既に崩壊の兆しを迎えているからだろう。しかし、この貴族と使用人という対比は映画とその舞台裏のような関係性で、メタ映画的とも言えそうだ。

 常に曇り空で、アルトマンらしいコミカルさもありつつ、終始アンニュイな雰囲気を今作は漂わせていた。音楽ではアイヴァー・ノヴェロの楽曲が実際に多く使われていたのだが(彼は作曲家でもある)、それがまた良い雰囲気を出してた。また役者はみなどこかで見たような有名な役者ばかりで、眼福である、貴族階級だから美男美女ばかりだし。深掘りされないし開かれた役ではないのに、これだけ魅力的に目に映るのは、やはり映画的だなぁと思った。「奇跡の海」のエミリー・ワトソンのどっしりとした態度と、「トレスポ」のケリー・マクドナルドの辿々しい感じのコンビネーション、映えるなぁ…。
TnT

TnT