ブルジョアの鼻持ちならぬ選民主義や搾取、そして下層に生きる若者の無教養を並列に晒し、身ぐるみを剥ぐ高度資本主義社会の無常を描いているが、基本的にはメロドラマ。
先が読める、すでにどこかで観た類の物語であり、2時間は長かった。
主人公がロトを射止めるくだりがまるで挿入されていないところ、またファスビンダー自身が演じる主人公はゴロツキながら、根が善良で愛されキャラだったのが意外(フルヌードはボカシなし、彼の長マラを確認可能)。
かつての恋人までが主人公を見捨てるラストはハードボイルド、手緩いハッピーエンドに走らぬ演出は、潔い。
本作の価値は「ファスビンダーが初めて自身のセクシュアリティを前面に押し出し、凡百メロドラマの登場人物をゲイ男性へ置換した」点にある。
家族たちが主要キャラのセクシュアリティを平然と受け入れているほか、ゲイバーや発展トイレなどを背景に、登場人物たちが臆せず日常(そして時にどぎつい下ネタ)を語るデティールは、ひと際斬新だったはず。
そんな作風は後年にアルモドバルやオゾン、グレッグ・アラキといった監督の作品へ、継承されていく。
欧州ゲイ映画の中で押さえておくべき、基本クラシックのひとつというわけだが、私が初めて本作を知り「ぜひ観たい」と思ってから、少なくとも10年以上の時間が経過している。
今回は邦題を変更し、改めて劇場公開という経緯を経ているが、大した意味があるとも思えぬ。
以前に発売されたDVDは5,000円を下らぬレンタル不可の高価盤で「珍味を味わえるのは金持ちだけ」とでも言いたげであった。
それでは本作が蔑んだブルジョアの選民主義と、寸分違わないではないか。
数十年前の映画のブランディングを謀り、小出しに日本公開して利権を貪る映画ゴロ主催の「ファスビンダー祭り」は、年中行事化している。
元を辿ればどこにたどり着くのか……、アテネ・フランスか、それともそのお抱え映画評論家か。
はたまた本国の監督関係者の意向なのだろうか。
誰でもいいがそろそろ、その囲い込みから監督の作品群を解放していただきたいものだ。