ジャンルが一体なんなのか?解らない。
ただ、面白いから良しとしよう。
油断をしていた此方も悪いが、不思議な魅力が漲っていた。
演出の方向性と画が見事な調和を見せており、普通なら退屈しそうな流れが、一瞬たりとも隙がない。
失った記憶への、溢れ出す“感触”は、退行か?進行か?その怪しく妖しい、目の前の日常を探っていく。黒沢あすかが抑制の効いた演技で、イヤらしく美しく、その空間へと誘ってくれる。彼女の真骨頂が久々に、出た。
また、突然の訪問者(不動産屋の客)の男が、これまた効いている。全く鼻につかない、過剰な質感を放ち、好感。そんな男が撃たれたシーンが、カッコよく、ホラーよりアクションの見せ方の方が巧いのではないか?という程に、クライマックスのアノ一連が愉しい。
やはり、ジャンルはショット。カットとフレーミング、動き、そして彩度強めな異空間を思わせる世界のトーン・・・結局は、よく理解できなかった映画ではあるが、全編引っ張られる“演出”、その映像との調和は、今後にとても期待を感じてしまった。これまでの作品の実験性が、やっと開花しつつある予感。
因みにホラーはホラーでも“サスペンス・ホラー”、即ちホラーのテイストを感じるサスペンスは、巧くいけば、歴史に遺る。クローネンバーグ(ウォーケン及びウッズのアレ)及びデ・パルマ(アレ全般)は、それで突き抜けたのだ。